初詣で願いが叶う人と、叶わない人はどこが違うのか。富裕層マーケティングを長く手掛ける西田理一郎さんは「普段は合理的判断を好む富裕層も、神様に祈る初詣は欠かさない。だが彼らは1月1日の参拝を避け、人とは違うやり方で神様に祈っている」という――。

「賽銭5円」はあまりに厚かましい

年始の風物詩といえば、明治神宮や成田山新勝寺といった有名神社に押し寄せる人波である。2026年という新しい年を迎え、今年も多くの日本人が寒空の下、何時間も行列に並ぶことだろう。

凍えるような手で財布から小銭を取り出し、賽銭箱に投げ入れ、二礼二拍手一礼。「ご縁がありますように」と5円玉を用意し、そこにあらゆる願いを込める。家内安全、商売繁盛、合格祈願、良縁成就……。

マーケティングの視点で冷静に見れば、これほど非効率で、言葉を選ばずに言えば「厚かましい」取引はない。

たった数円のコスト(賽銭)で、人生を左右するような莫大なリターン(願いの成就)を求めているのだから。もし神様がコンサルタントなら、即座に契約解除を言い渡すレベルの対価である。「5円の出資で、億単位の利益を出せ」と言っているのと同義だからだ。

そもそも、どこの誰とも名乗らない人間から、いきなり「金をくれ」「成功させてくれ」と言われて、手を差し伸べる気になるだろうか。

私が普段接している資産数十億円、数百億円を持つ富裕層や経営者たちは、こうした「一般的」な参拝を決してしない。彼らは、神様を「都合の良い魔法使い」だとは考えていないからだ。彼らにとって神社は、一方的に願いを叶えてもらう場所ではなく、「意思決定の確認」と「決意表明(コミットメント)」を行う場である。

孫正義がわざわざ「不便な神社」に参拝する理由

富裕層が通う神社には、明確な傾向がある。彼らは、雑誌の「最強パワースポット特集」に載っているような、観光地化してアクセスの良い神社には見向きもしない。彼らが求めているのは、観光客の喧騒ではなく、研ぎ澄まされた純度の高い「気」だからだ。

有名な話だが、ソフトバンクグループの孫正義氏は、石川県の「金劔宮きんけんぐう」を参拝したと報じられている。決してアクセスが良い場所ではない。また、高額納税者番付の常連であった実業家の斎藤一人氏は、新潟県の「高龍こうりゅう神社」を参拝していたことが知られている。他にも熊野三山の奥の宮「玉置神社」も著名人が訪れるが、共通して言えるのは、山深い場所にあり、行くこと自体が一つの修行のような場所である。

石川県白山市にある金剣宮
筆者撮影
石川県白山市にある金剣宮

なぜ、彼らは多忙なスケジュールを縫って、わざわざそんな不便な場所へ行くのか。

ここには「フィルタリング」という視点がある。容易に行ける場所には、容易な覚悟の人間が集まる。「ついでに寄ってみよう」という軽い気持ちの参拝客だ。一方で、辿り着くだけで労力を要する場所には、それ相応の覚悟を持った人間しか集まらない。結果として、場の「磁場」が荒らされず、高い純度が保たれるのだ。経営者たちは肌感覚で知っている。「効率化された参拝」に、霊験(リターン)はないことを。