日本人の食文化にはどういった特徴があるのか。明治大学国際日本学部の小笠原泰教授は「刺身や寿司に代表される生食が日本の伝統だと思われがちだが、実は日本人が魚を生で食べるようになったのは高度成長時代以降だ。生食は文化というよりも、メディアによって刷り込まれたものだろう」という――。

※本稿は、小笠原泰『日本人3.0 新しい時代のルールと必須知識』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。

刺身の盛り合わせ
写真=iStock.com/yumehana
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生魚を食べていたのは江戸や大阪の一部

そろそろ終焉を迎えそうな生食パンブームのように、いまの日本人は何でも生で食べるのが好きです。それは、わが国の伝統なのでしょうか。「そもそも日本の誇る刺身と寿司は生なのだから、当たり前だろう」、そんな声が飛んできそうです。

刺身は室町時代に始まったと思われますが、カツオが出回るようになる江戸時代になると、刺身は文献にもそれなりに登場します。しかし、生魚を食べていたのは江戸や大阪の一部の人々であり、多くはないです。

当然ながら、主な食べ方は、やはり魚を細く(あるいは薄く)切り、酢を基本にした調味料で和えて保存性を高めたなますです。

ちなみに、なますは中国由来で、獣肉や魚肉を細かく刻んで生で食べていたものが、日本に奈良時代あたりに伝わり、室町時代になると生ではなく酢などで締めるいまのなますになったといわれています。

江戸前寿司も加工された魚介類が主だった

寿司の系譜も保存食として魚を乳酸発酵させた「れ鮨」が基本です。熟れ鮨はタイ北部と中国雲南が発祥とされます。

江戸後期になって、熟れ鮨に代わって屋台で出す「握り寿司」が江戸で人気となります。その大きさは、いまの倍とも、おにぎりくらいともいわれています。江戸の郷土料理です。

江戸前(江戸前島や佃島などの漁場を指す)で魚介類がとれるので生のネタを使えそうですが、当時の衛生環境と冷蔵技術を考えれば、酢締めや醤油漬け、あるいは火を通した素材が主であったと考えるのが現実的です。

このように日本人の「魚食」には長い歴史がありますが、「生で魚を食べる」のは一部の地域の一部の人の話です。それは「鯨を食べるのは日本の食の伝統」という説と同レベルで説得力がありません。鯨食とはそもそも戦後の肉類不足を補うための策でした。

政府の捕鯨政策によって鯨を給食で食べさせられたわけですから、それを「日本の食の伝統」とはいえません。

「鯨食は伝統」と叫んでいたのが、近代捕鯨の発祥地・山口出身の安倍元首相と、古式捕鯨の発祥地・和歌山出身の二階俊博氏というのは、偶然の一致なのでしょうか。