エリート官僚の道を捨てた原口博光氏。飛び込んだ先は、一部上場の老舗タイルメーカーだった。2010年から取締役としてリストラを敢行。その功績を買われ、33歳の若さで社長に抜擢された。外様社長は、いかにして組織を立て直すのか。

年上の部下から情報を引き出す

ダントーホールディングス社長 
原口博光氏

キャリアとして経済産業省に務めた後、民間企業で会社の再生を任されて社長になったため、私は社会人になってからずっと年上の部下しかいません。しかし、役所と民間企業の世界では年上に対する接し方は大きく変わりました。

役所の現場では、キャリア/ノンキャリアが絶対的な上下関係を決めます。この事実に対する批判はさておき、肩書が自動的に正しい/正しくないを決めるシステムが機能していると、年上の部下がいても苦労はしません。

ところが民間企業では勝手が違います。当社は創業126年の老舗タイルメーカーで、これまで同族経営を続けてきました。今回、初めて私のような外様の若造が社長になったのです。

突然やってきた私が上からものを言ったところで、誰も言うことを聞いてくれません。ましてやタイル業界にはこの道20年、30年のベテランが多く、素人の私は簡単に口をはさめない。

どうしたらプロフェッショナルの彼らに認められるか。私が重視したのは「質問」です。素人なりに勉強して相手を尊重しつつ、疑問を投げかける。

そのときに「アホか、こいつは」と思われてはいけない。相手は何も教えてくれません。「この人は考えている人だな。俺らのために頑張ってくれるんじゃないか」と夢や希望を与え、社員たちが積極的に話しかけてくれるような関係を目指しました。これが初期に行われなければ、修復は不可能だと思ったのです。

部下に頼みごとをするときも、言い回しには気を使いました。威圧的に「俺の言うことを聞け」という姿勢はもってのほか。かといって、「○○してもらえませんか」という言い方も本質的には「やれ」と命令しているのと同じです。結局、部下には断る選択肢が与えられないのですから。私は、「○○することは可能ですか」という言い方をして、最終的な決定は部下に任せるようにしています。

現場にも行きました。当社では年末に岐阜県の多治見市にある広大な倉庫で在庫の棚卸が行われます。私もそこでタイルを1枚1枚数えました。

棚卸はメーカーにとっては最も重要な業務の1つです。しかし、赤字体質が染み付き、再生局面におかれている当社では、棚卸という基本動作すらまともにできないような状態に陥っていた。そのために、立て直しが必要だったのです。

個室にこもって計画だけをつくる。官僚であればそれで仕事が終わってしまうこともありますが、当社ではその先にある実行フェーズを軌道に乗せることが死活問題。現場で汗を流し、社員たちと信頼関係を築かないことには、情報もあがってこない。計画を立てることさえできないのです。

当社で働き始めた2年前は、指示命令系統がほとんど機能していませんでした。そこで、年齢に関係なく、能力があってコミュニケーション力の高い社員を要職に引き上げました。肩書が変われば、これまでとは異なる行動原理が求められます。しかし、彼らには成功体験がありません。新任の管理職が最大限に活躍できるよう、私自身が彼らに情報を発信することで、彼らの課題や悩みを直接吸い上げることに注力してきました。

年上だからといって、部下におもねる必要はありません。部下が裏づけのない中途半端な報告をしてきたとき、私は烈火のごとく怒ったことがあります。そのときについたあだ名が「ターミネーター」。まあ、そんなあだ名で呼ばれていることを私が知っているくらいですから、職場の雰囲気は明るくなった。そうポジティブに考えていますが(笑)。