「特異な商品ラインナップ」と「食のイベント」で話題を総なめ

客足は戻ったが、さらに大きな課題が立ちはだかっていた。町の人口減少である。一般的にスーパーマーケットの来客数はエリアの人口に比例する。実際にショッピング大黒では、町の人口減少に伴って20年間で来客数とともに売り上げは半減していた。今後も人口は減り続けることは確実で、2040年までにさらに半分になるとの予想もある。

ショッピング大黒があるのは海陽町の中でも、もっとも南にある宍喰地区だ。徳島県には電車がない。唯一ディーゼルエンジンの単線列車が走るが、宍喰地区には1時間に1本も来ない。県南地域には高速道路もない。大黒さんからは「エリア外から人を呼ぶのは難しい」と言われていた。

しかし、岩崎さんは「熱量があれば、場所は関係なくお客さんは来る」と信じ、次なる策を練る。

まずは、もともと準備していたオーガニック食材のラインナップをより一層強化。さらに食にまつわるさまざまなイベントを開催していった。

友人のソムリエやシェフを招いた一泊二日の「オーガニック料理とワインの会」には、北は青森から南は熊本まで多い時には全国から60人を超える人が参加した。「餅つき大会」など店の駐車場で行える小規模なイベントもいくつも開催した。

また、徳島市内で毎月開かれる大規模マルシェにも定期的に出店。岩崎さんが育てた無農薬野菜や妻が作った米粉マフィンなどを販売し、地域外での認知を高めていった。

結果、地元の新聞やテレビ局から多くの取材が来るようになった。徳島新聞は県内普及率が50%を超える。テレビも民放が県内に一局しかなく、ローカルメディアの影響力は大きい。取材が取材を呼び、有名雑誌や全国放送の番組から依頼が来ることも度々あった。

専門店並みの商品ラインナップも話題となり、県外を含めエリア外からショッピング大黒を目的地にしてやってくる人が増えていった。

「音楽を聴かない人はいるけど、ご飯を食べない人はいない」

岩崎さんがオーガニック商品に力を入れるのは、決して話題作りのためだけではない。その背景には、青年時代から抱き続けたある想いがあるという。

「ボブ・マーリーやジョン・レノン、忌野清志郎に憧れて『音楽で世の中を変えたい』と思い音楽業界に入りました。音楽を通じて出会ったさまざまな人たちとの交流の中で、世の中を変える方法は音楽以外にもたくさんあると感じて、日本の伝統文化や食の業界でのマネージメントも始めたんです」

転機となったのは、岩崎さんが30歳になった頃。岩崎さんと同じく音楽にどっぷりと浸かる生活だった仲間が、どんどん農業にのめり込んでいく様をみて、「食の裾野の広さ」を感じた。

「音楽を聞かない人はいるけど、ご飯をまったく食べない人なんていない。じゃあ、その年齢も性別も国や言葉の違いも関係ない『食べること』の中に、世界を考えるきっかけがあったら、より多くの人に届くんじゃないかって思ったんです」

店に並ぶオーガニック製品は、東京時代の仲間や知人を頼って品数を増やしていったが、ただ珍しいものを集めただけではない。身体にはもちろん、環境や社会にとって“いいもの”について知り、選び、購入する体験をしてもらいたいと思った。

「世の中よくしようぜ、世界を平和にしようぜって直接声を上げても、誰も聞いてくれないと思うんですよ。だから社会問題に取り組んだり、環境や健康に配慮したりしている商品を僕は店に並べているんです。それが結果的にオーガニックだった。これは僕なりの平和活動なんです」