「お先真っ暗」と思っていたが…

私は、紆余曲折あって会社を辞めることになるが、会社側と退社することが正式に合意に達した瞬間に、今まで味わったことのない開放感を味わった。まるでマンガを見ているような光景が目の前に広がった。それは、次のようなものだ。

当時は自分の歩む道は、一本道で進めば進むほど道は狭くなっている。薄暗くて遠くを見たくても暗闇で見通すことができない。まさに「お先真っ暗」の状態で、未来に対してまったく希望の光は見えず、ただただ目の前の仕事を必死に片づけていくことしかない、自分が歩んでいく道はこれしかない、許されないのだ、という絶望的な状態に追い込まれていた。

畔柳茂樹『デンソーと農園経営から得た教訓 会社から逃げる勇気』(ワニブックス)
畔柳茂樹『デンソーと農園経営から得た教訓 会社から逃げる勇気』(ワニブックス)

それが、退社が正式に決まった瞬間、目の前の光景は激変した。目の前には薄暗い世界が広がっていたが、そこに明かりがさして先が見通せるようになった。そして今歩んでいる道の先を見てみると、今まで行けば行くほど道は狭くなっていたが、実は道はどんどん広くなって、さらに何本にも枝分かれしていることがわかった。

今の仕事を続けていくしかないという薄暗い一本道から、未来は明るく希望に満ちている、しかも選択肢はいくらでもある、「未来は選べる」という世界に一気にそして劇的に変わった。この目の前の世界が一変したことは、いまだによく覚えているし思い出す。あれ以来、悪い出来事が起きたとしても、未来は明るいし選択できるという思いが僕の中には常にある。

ここで伝えたいのは、あなたが思っている以上に「世界は本当に広くて自由」だということ。決して「これしかない」と考えないでほしい。勇気を出した人に世界はやさしい。

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