定年後も働くために、日頃からするべきことは何か。82歳で起業した実業家の松本徹三さんは「50歳を超えたら、毎年『履歴書』を書き足しながら、自分と仕事の関係を見つめ直すことは極めて大切なことだ」という――。

※本稿は、松本徹三『仕事が好きで何が悪い! 生涯現役で最高に楽しく働く方法』 (朝日新書)の一部を再編集したものです。

履歴書を書く手
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日頃から用意する履歴書のポイント

さて、50歳を超えたら、少しこれまでの「生き方」を変えることを考えるべきではないかと、皆さんを散々煽りましたが、そのためには「日頃からの準備」を怠らないことも必要なのはもちろんです。

それは自分自身の能力と意欲を正しく認識し、あなたを雇ったり、あなたと契約したりして、一緒に仕事をすることを考えてくれるかもしれない人に対して、あなた自身を正しくアピールするための資料を、日頃からきちんと用意しておくことです。

これは、具体的には「履歴書」のことです。ただし、普通の日本の「履歴書」は、「学歴」と「職歴」に分けて、所属した学校や会社の名前、会社の中での所属部署や役職などを年月日順に列記したものですが、諸外国ではこんなものではクソの役にも立ちません。

会社名や所属部署や役職の記載は必要ですが、そこでどんな「仕事」をし、どのような「成果」をあげたかの具体的な記載がなければ、意味がある記載だと認めてもらえないのです。

それ以前に、「自分はどんな人間で、何がしたいか」ということを、まず冒頭に自分の言葉で明確に記載することが、欧米の履歴書ではかなり頻繁に行われています。求人側から見れば、それがまずは一番に知りたいことだからです。

誰もが履歴書を引き出しに入れている米国

日本では、自分で自分を「売り込む」などといった「はしたない」ことはしてはならない(誰かがちゃんと見てくれているはずだから、自分はじっとしていれば良い)といった考えが、長い間ずっと支配的でしたが、もうそんな「世界標準から見れば異様な考え」は捨てるべきです。

典型的なこれまでの日本の「会社員」は、「次は自分はどんなところに回されるのかなあ?(会社は自分をどう使うのかなあ?)」と考えるのが普通だったようです。「すべては会社が決めること(自分はそれに従うしかない)」というわけです。

そこには「自分はどうしてもこういうことをやってみたい(そのためにはどうすれば良いのかな?)」という発想はほとんどありませんでした。それはそれで気楽だったかもしれませんが、あまりにも主体性がなく、少し残念な気がします。

これに対し、米国などの多くの国の「会社員」は、ほとんど誰でもが、いつも自分の「履歴書」を机の引き出しの中に入れています。いつ突然クビになるかもしれないし(もちろんかなり手厚い退職金は支払われますが)、自分の方でも常に「より良い勤め先がないか」と考えているからです。