「現場第一」「ハート・ツー・ハート」が修流。それは世界中どこでも変わらない。その眼は現場で何を見ているのか、どうやって人を引きつけるのか。最後のカリスマ、鈴木修の背中を追った。
「これは、参ったなぁ……」
鈴木修は、心の中で呟く。搭乗開始のアナウンスが流れ日航機のB777に乗り込んだところ、隣のシートには若い女性が座っているではないか。成田からバンコクまで、飛行時間はおよそ7時間。できることなら、快適に過ごしたい。マナーの悪い若者が多いだけに、大丈夫だろうか、と心配になる。
この日も、鈴木修は長い旅の途中にいた。1930年1月生まれだから、現在は82歳。自動車業界では“最後のカリスマ”として知られる会長兼社長だが、忍者のようにフットワークは軽い。36歳で米国に駐在するなど、若い頃から浜松市を拠点に国内と世界を渡り歩き、旅を栖すみかとしてきた経営者である。
前日は、東京で中間期(4~9月)の決算会見に臨んだ。米市場からの四輪事業の撤退、反日で揺れた中国問題、インド、TPP、為替、国内軽自動車市場などなど、記者団からの質問に素早いリズムで回答していく。ときにはユーモラスに、ときには厳しい口調で。
78年6月に社長に就任してから、何百回と重ねられてきた記者会見の光景である。この経営者が会見で言い淀む姿を、目撃した人はまずいないのではないか。
鈴木修はいつもの“修節”を奏でながらも、いくつかの重要なことを発信した。
「輸出立国としての日本は、やがてなくなっていくだろうと私は思っています。これからは現地でコツコツつくっていく地産地消でやっていきます。日本人も現地に行って一緒に作業をやる時代になり、地産地消は進むでしょう。3月から生産が始まったタイの新工場には170人ほど、日本の工場から指導者と作業者を送り込んでいます」「国内で雇用を確保するより、グローバルで確保していくのです。こうなっていくと、故郷(ふるさと)という感覚はなくなるんじゃないでしょうか」