カードへの記入を手伝い終えると、さりげなく助言する。「人を見たら、泥棒だと思いなさい。慎重の上にも慎重でなければ、いけませんよ。とにかく、気をつけてね」。世界中を駆け回ってきた老経営者は、初めて会う女性に言葉を贈った。「ハイ、気をつけます」。
自称「中小企業のおやじ」である鈴木修は、威張らない。合理主義者だが、あくまで気さくである。多くの取り巻きを従えることもなく、現地まで1人で移動してしまう。社長に就任した48歳のときも、いまもだ。このため、機中で予期せぬふれあいがあり、新たな発見や気づきを得る。
若い看護師はおやじさんを、連結売上高が約2兆6000億円(2013年3月期見込み)、年間販売台数(同)は二輪車が約260万台、四輪車が約275万台を誇る会社のトップであることなど知る由もない。
スワンナプーム国際空港から市内中心部まで、渋滞には巻き込まれなかった。土曜日のせいかもしれない。宿泊するSホテルの2階ロビーには、背広を着たSPが10人ほど所在なさげに屯している。チャオプラヤ川を望むこのホテルに、李明博韓国大統領が宿泊しているためだった。フロアでは、少人数のバンドがクラシックジャズを演奏している。
スズキはこれまで、他社に先駆けて海外市場に進出してきた。パキスタン、インド、ハンガリー、インドネシア、中国、ロシア。結果や成果はともかく、先んじて出るのがスズキ流である。ところが、タイに関しては国内メーカーでは最後発の工場進出となった。
「インドに続く2番目の柱として、既存のインドネシア工場(四輪生産は76年から)と新設のタイ工場があるのです。関税がかからないため、相互に車種をやり取りします」
と、鈴木修は12年8月、浜松本社で話していた。だが、今回タイで「インドネシアだけで生産するのもリスクを伴う。何かあったときに、心配なんだよ。だから、乗用車だけはタイでもつくろうと考えたんだ」と囁いていた。