イスラエルのネタニヤフ首相はどんな人物なのか。作家の佐藤優さんは「テロリストの邪悪な意図と手段に対峙するには、絶対に屈しないという意志こそが全てだというのが、ネタニヤフの思想であり信条だ。彼の人生に思いを致すことなく、批判だけしていても、解決のきっかけは見つからない」という。外交ジャーナリストの手嶋龍一さんとの対談をお届けしよう――。

※本稿は、手嶋龍一・佐藤優『イスラエル戦争の嘘 第三次世界大戦を回避せよ』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

イスラエルのネタニヤフ首相(エルサレム)
写真=EPA/時事通信フォト
2024年3月17日、イスラエルのネタニヤフ首相(エルサレム)

“初めてイスラエルに生まれた宰相”政権の座に

【手嶋】ネタニヤフという人の人生の軌跡を辿れば、彼の強硬路線がどのようにして誕生したか、垣間見ることができると思います。

【佐藤】ベンヤミン・ネタニヤフは、1949年10月21日、イスラエルのテルアビブで生を受けています。

【手嶋】自分の国で生まれる――。われわれにとってはごく当たり前のことが、イスラエルではそうではありません。“初めてのイスラエル生まれの宰相”。ネタニヤフが初めて政権の座に就いた時、新聞はこんな見出しを付けて報じました。イスラエルが建国を宣言したのが1948年5月、ネタニヤフはその翌年、イスラエルの首都で生まれたのでした。ユダヤの民は永く国家を持たない流浪の民でしたから、それ以前には自国で生まれた宰相はいなかったのです。

【佐藤】建国以来、初めて公選で、しかも46歳という若さで首相に選ばれています。

【手嶋】まさしくミスター・イスラエルでした。明日のイスラエルを担う若き政治家として颯爽と政界に登場しました。その前はイスラエル国防軍の軍人でした。

兄はイスラエルでは有名な“英雄ヨナタン・ネタニヤフ”

【佐藤】まず、彼の家族構成から見てみましょう。父親のベン=シオン・ネタニヤフはアメリカ・コーネル大学でユダヤ史を教える教授でした。ベンヤミンは男3人兄弟の真ん中です。そして3人がともにイスラエル国防軍(IDF)のエリート特殊部隊である「サイェレット・マトカル」に所属していました。

【手嶋】イスラエル軍参謀本部の諜報ちょうほう局・アマンに属するコマンド部隊として知られています。ネタニヤフはイスラエルのインテリジェンス・コミュニティに属していたと言われるのはこの経歴のゆえです。テロの拠点を襲い、人質を救出するイギリスの特殊部隊に倣って創設された部隊です。ただ、このコマンド部隊は偵察などの諜報任務から、次第に対テロ作戦を遂行する実戦部隊に変貌していきます。

【佐藤】そのコマンド部隊にネタニヤフ家の兄弟3人が揃いも揃って属していたわけです。それだけでもかなり特殊なファミリーですね。しかも、長兄はイスラエルでは誰ひとり知らぬ者はいない“英雄ヨナタン・ネタニヤフ”です。

【手嶋】ネタニヤフ首相の2歳上の兄、ヨナタン・ネタニヤフは、じつに優秀な軍人でした。イスラエルが奇襲を受けたヨム・キプール戦争、つまり第四次中東戦争で活躍し勲章を受章しています。ところがその後、ネタニヤフ家に悲劇が襲いかかります。1976年6月27日、ウガンダのエンテベ空港でハイジャック救出事件が持ち上がります。この時、ヨナタンは特殊部隊の指揮官として現場で采配を振り、部下とともにハイジャック機に突入します。そして、唯一人の犠牲者となりました。