入社5年で稼ぎ頭に
『企業参謀』とその英訳版『The Mind of the Strategist』のヒットによって、マッキンゼー東京事務所には仕事が殺到した。撤退の危機から一転、マッキンゼーでも指折りの優良事務所に数えられるようになった。
入社3、4年目で立場はアソシエイトだったが、私はプロジェクトマネージャーのような仕事をやっていた。名指しで仕事をもらってもさばき切れないから、せっせと他のメンバーに振っていた。
そのうちマッキンゼー本社で「大前をディレクターにすべきだ」という議論まで出たらしいが、まずは入社4年半でパートナーになった。異例のスピードである。それも当然で、収入ベースでいえば私は入社5年でマッキンゼーの稼ぎ頭になっていた。
マッキンゼーという世界企業は、全世界のパートナーという株式を持つメンバーで運営されている。いわゆる本社という概念はなく、各事務所がそれぞれ本社であり、それをサポートするのがアメリカのニューヨークにある本社事務所という形態を取っている。
普通の会社の取締役会に当たるのが、シニアパートナーであるディレクターの選挙で選ばれた20人のディレクターズ・コミッティだ。社長は別途ディレクターの投票で選ばれる。つまりディクレターの互選である。ディクレターズ・コミッティの中からさらに6人が選ばれてエグゼクティブ・コミッティを組織し、社長を入れた7人で常務会を持つ。
日本で目覚ましい成績を上げていた私は世界中の社内会議に呼ばれてさまざまな発表をさせられていたし、SOSが入ったときには現地の事務所に飛んで手助けをしていたしマグロウヒルから『企業参謀』の英語版も出していたので、世界中に名前が知られていた。
私が何を売りにしていたかといえば、Problem Solving Approach(PSA)という問題解決の思考法や技法である。そのアプローチがズバ抜けてスピーディーで有効ということで評判だった。
社内で使われる教科書も書いていた。『マッキンゼー現代の経営戦略』で開示したProduct Market Strategy(PMS 製品市場戦略)などの分析イグザンプルを2000ケースぐらい集めてテキスト化していた。
担当者はクライアントのところにこのテキストを持っていって、「こういう要領で御社の事業を分析してくれ」とブランクチャートを渡して書き込ませる。すると、どこに課題があって、解決の糸口は何か、どういう方向でプロジェクトチームを動かすべきなのか、たちどころに見えてくる。
私が日本で大きなチームを効率よく動かすために使っていた手法だったが、「これは非常に助かる」ということで世界中の事務所が使い始めたのだ。