M&Aコンサルティングという革命

当時、マッキンゼーは「組織のマッキンゼー」と言われて、各種の診断を用いた組織改革やスキルアップ系のコンサルティングを得意としていた。対して「戦略」で売り出していたのがBCGやべイン(&カンパニー)である。

特にBCGは「プロダクト・ポート・フォリオ・マネジメント」や「エクスペリエンス・カーブ(経験曲線:累積生産量が2倍になるとコストは20~30%低減するという法則)」などのコンセプトツールを編み出して、戦略系コンサルティングの色合いを強めていた。

マッキンゼーも企業戦略はやっていたのだが、「戦略ならBCG、組織はマッキンゼー」という感じで、どうも世間的にはマッキンゼーは旧聞に属するという印象を持たれていた。

これを何とかしなければいけないということで、後に社長になるNY事務所のフレッド・クラッグと2人で「戦略のマッキンゼー」を打ち出すプロジェクトを立ち上げた。以来、マッキンゼーの「戦略」は我々が先頭に立って引っ張ったのだ。

M&Aが盛んになった80年代に入って、私が強く訴えたのはコーポレート・リレーションズ・アレンジメント、つまり合従連衡のコンサルティングの必要性である。

「これから先、トップの関心事は企業間の合従連衡になる。これに手が出せないようではトップマネジメントのコンサルタントとは言えない」

日本ではM&Aを積極的に手掛けたが、マッキンゼー内部では否定的な声も多かった。

すでにリタイアしていたが、隠然たる影響力を持っていた“生きる伝説”マービン・バウアー[第24回「初仕事はサンフランシスコ(前篇)」参照 http://president.jp/articles/-/6627 ]も反対派だった。バウアーが大反対したのはM&Aの成功報酬だ。

マッキンゼーは月額単位でフィーをもらう定額制のビジネスを良としていた。ひとつの案件の成功、不成功で対価が大きく違ってくる成功報酬制度はバウアーが築き上げてきたマッキンゼーの価値観にそぐわない。

しかし、日本企業がM&Aに目を向け始めた当時、「成功するかどうかわからない案件のために、毎月高額なフィーを払わされるのは勘弁してほしい」という要望が多かった。

たとえばM&Aの交渉に10カ月かかったとして、月額2500万円のフィーなら総額2億5000万円。M&Aに失敗しても、取りやめても結局、2億5000万円のコストがかかってしまう。

投資銀行などはリスクが高い案件でも成功報酬欲しさに「GO」を出す。しかし私はM&Aの価値がなかったり、見込みがない場合は、「社長、やめときましょう」と交渉途中でも平気でストップをかけた。だからこそ日本の企業は私を企業の長期アドバイザーとして使ってくれたのだ。

さりとて、ゴールしてもしなくても高額なフィーを払い続けるのは負担が大きい。そこでM&A案件については月額フィーを何分の一かにして、首尾よく成功した場合には一定の報酬が入る仕組みを考えたのである。

クライアント企業にも好評だったが、バウアーの教えに忠実なマッキンゼーの守旧派は企業間のアレンジメントビジネスを頑強に認めようとしなかった。

取締役会で何度も議論をして、「企業間のアレンジメントを専門にするマッキンゼーBを作ろう」という提案までした。こうした議論がケンカ腰ではなく、とことんできるのがマッキンゼーの素晴らしさだ。

最後には「大前が日本でやる分には目をつぶる」ということになった。10億円を超える成功報酬が日本からポンと入金されるのだから、さしもの反対派も私の仕事に文句は言えなかった。

(次回は《私が変えたマッキンゼー(2)—「世界化」への着手》。12月10日更新予定)

(小川 剛=インタビュー・構成)