人事給与制度に問題あり

大前夫妻のオフタイム。「プレジデント」1992年1月号「人に教えたくない店」より。(撮影=編集部。原版撮影=石井雄司)

1994年、51歳のときにマッキンゼーを“卒業”した。勘違いしてほしくない。嫌いで辞めたわけではなく、定年退職したのである。

私はマッキンゼーのルールを随分変えてきたが、人事給与制度もそのひとつだった。

マッキンゼーは各事務所で人材を採用する。入口がバラバラだから、国によって給料が違う。入社年数が経過するにしたがって徐々に格差がなくなって、ディレクター1年目で全世界共通の給料に収斂する、というルールだった。

早い人で12年目ぐらいにディレクターになれる。30歳前後で入社して40歳そこそこでディクレターになれば、あとは60歳の定年までディレクターとして若いヤツを使いながらヌクヌクとやっていける。こうした人事給与制度は問題だと思っていた。

ひとつは給料の問題である。全世界共通の給料を米ドルで支払われると日本人やドイツ人は割を食う。私が入社した頃は1ドル360円だったが、1987年には1ドル120円と3分の1になった。それでは適わないということでドイツのヘンツラーなどと計らって、「米ドルで世界共通」をやめて、世界の売上高で加重平均した「マッキンゼー通貨」で給料が決まる通貨バスケット方式を提案した。

業績をマッキンゼー通貨の単位で計算し、それをローカルの貨幣に換算したものが給料になる。実にブリリアントなアイデアだったが、それでも円高の勢いはすさまじく、ヘンツラーとともに最高の給料をもらっていながら、円換算した時の給料は毎年下がった。

もうひとつは定年の問題。40代半ばでディレクターになると働かなくなる。電話をしても「He is on vacation」などと言われて、捕まらないのだ。ディレクターは休日の日数が決まっていない。パートナーなのだから自分で判断しろということなのだが、平気で3カ月もバケーションを取る輩もいた。

一番働かない人間が一番高い給料をもらっていつまでも君臨しているようでは、若い連中の成長を阻害する。そこで定年の考え方を変えた。60歳という定年の最終ラインはそのままにして、「年齢+勤続年数」が75歳になったら定年退職できる、というルールを加えたのだ。

言ってみれば60歳定年が「must」なら、75歳定年は「can」である。私の場合、勤続23年半を数えた51歳のときにめでたく「75歳」に達して、定年できる日を迎えたのだ。