私が会いたくなった2人の経営者
日本の経営者のスケールが小さくなったと感じるようになったのは、私がマッキンゼーを辞めた90年代半ば以降のことである。常識にとらわれたり、人真似をしたり、アメリカの経営に媚びたり、振り回される経営者が多くなった。
戦後第一世代(松下幸之助さんや本田宗一郎さん)、第二世代(川上源一さんや盛田昭夫さん)の経営者には確固たる世界観なり方向性があった。経営を志向する人はあの世代の「私の履歴書」を読んだほうがいい。血沸き肉躍る物語がそこにある。
松下幸之助さんや、直接一緒に仕事をしたことはないが本田宗一郎さんの生涯は、世界中の誰に話しても、何語で話しても、感動する物語である。世界中で親しまれているトーマス・エジソンの発明物語やヘンリー・フォードの創業物語に匹敵するようなストーリーを持つきわめてユニークな経営者が、あの時代の日本には結構いたのだ。
彼らは決して必要十分条件を満たしているようなこなれた経営者ではなかった。しかし、やらなければいけないことについては、脇目も振らずにどこまでも追求していく情熱と気概と粘り強さを持ち合わせていた。
運がいいことに、私はそういう人たちと接して、お金をもらいながら勉強させてもらった。修羅場の会社経営について突っ込んだ議論を交わしながらも、人間関係を維持して長いお付き合いをさせていただいた。そのような関係性はあの時代にしか成立しなかっただろうし、その意味で私は日本の企業家がもっとも輝きを放っていた時代の生き証人だと思っている。
私は面白い経営者がいると必ず会いに行くことにしている。第三世代でいえば、ナムコ創業者の中村雅哉さんは「集まれ、前科者!」というキャッチコピーで新卒募集の広告を出したことがあり、「これは面白い」と思って会いに行った。
スクウェア創業者の宮本雅史さんは、「一日一分でも会社にいたらその日は出勤になる」制度を採用しているという雑誌の記事を見て興味が湧き、会いに行った。宮本さんはすでに32歳で会社をリタイアしていたのだが、銀行出身の雇われ社長から「どうせなら本当のオーナーに会ってくれ」と宮本さんを紹介された。