「勝つ」よりも「美味しく食べる」

この初登場の場面に、ギャル曽根の魅力が詰まっている。大食いは競技であり、真剣勝負である。だから参加者は「フード・ファイター」と呼ばれる。圧倒的な食欲を見せる姿に私たちは感嘆の念を抱く。

だがギャル曽根は、「勝つ」ことよりも「美味しく食べる」ことを優先した。食べることは楽しくなければいけない。いかにもギャルらしいマインドである。

従来の大食いにはいなかったタイプで、その姿は輝いていた。しかもギャル曽根は、それからおよそ半年後の「元祖!大食い王決定戦 新爆食女王誕生戦〜沖縄編」で見事優勝を果たす。競技としての大食いにおいても存在感を示したのである。まさに、新たなスターの誕生だった。

もちろん、ギャル曽根の登場以前から大食い番組には長い歴史がある。そしてそこにも、個性派ぞろいの歴戦の猛者たちがいた。

この人を置いて「大食い」は語れない

まず、テレビ東京の「日曜ビッグスペシャル」の枠での「全国大食い選手権」があった。そして1992年に「TVチャンピオン」がスタート。「全国大食い選手権」を継承したかたちで、1992年4月16日に「TVチャンピオン」で第1回の大食い企画が放送された。

その第4回で優勝したのが、「女王」こと赤阪尊子である。このときすでに30代後半で、生命保険会社の営業職が本業だった。女性フード・ファイターの草分けのひとりであると同時に、赤阪ほど名勝負の多かったひともまれだろう。“名勝負製造機”的存在だった。

たとえば、新井和響や中嶋広文と並ぶ初期のスターのひとり、「皇帝」こと岸義行と「TVチャンピオン『全国大食い選手権〜大食いオールスター大阪食い倒れ決戦』」(1999年10月14日放送)で繰り広げた大接戦のマッチレース。

種目はうどんの大食い。ともに相譲らず27杯目でタイムアップ。勝負は残り分の計量に持ち込まれた。その結果赤阪が240グラム、岸が235グラムで、終わった瞬間は「負けた」と思った岸の勝利。5グラムは、わずかうどん15センチ分の差だった。

伝説の「細巻き対決」

いまも語り継がれるのが、「TVチャンピオン『男vs女 世紀の対決!どっちが大食い決定戦』」(1999年2月11日放送)での細巻き対決だ。

制限時間45分全長6メートルの細巻きの早食い対決で、対戦相手はその直前の大会で優勝していた「野獣」こと藤田操。ボウリング場のレーンを使っておこなわれた。

中盤で70センチの差をつけられた赤阪だったが、少しずつ差を詰め始める。だが残り15センチ差がどうしても縮まらない。これは藤田の勝利かと思われた瞬間、最後の最後にまだ20センチくらいはありそうな残りの細巻きを赤阪が一気に口の中に詰め込んだ。

外国のものと思われる細巻きのようなもの
写真=iStock.com/undefined undefined
※写真はイメージです

その勢いのすさまじさに中村有志も思わず赤阪の手を挙げたが、「どっち、どっち?」と確信が持てない様子。結果はビデオ判定に持ち込まれた。すると両者36分4秒01という全くの同タイム。引き分けとなったのだった。

赤阪尊子の驚異的な粘りである。競技中、水に大量の砂糖を入れて飲むなどキャラも立っていたが、なによりもカメラ映りなど気にせず一心不乱に食べ続けるその姿は多くの視聴者を魅了した。テレビコラムニストのナンシー関やマツコ・デラックスも、熱烈な赤阪ファンだった。