バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ‼」(1985~96年、日本テレビ系)は、いまでも「伝説の番組」として語り継がれている。どこがすごかったのか。社会学者の太田省一さんは「バラエティ番組にドキュメンタリーの手法を持ち込み、人間の生々しいリアルな姿を浮き彫りにした演出は革命的だった」という――。
フライデー乱入事件の第2回公判で、東京地裁に入るビートたけしこと北野武被告(1987年5月26日、東京・霞が関)
写真=時事通信フォト
フライデー乱入事件の第2回公判で、東京地裁に入るビートたけしこと北野武被告(1987年5月26日、東京・霞が関)

バラエティ番組の時代の始まり

1980年代、テレビは娯楽の王様として揺るぎない地位を確立し、いままでなかったような常識破りの番組が生まれた時代だった。

なかでも日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ‼』は、日曜夜8時台、強敵大河ドラマの裏番組でありながら斬新な企画の数々で画期的な成功を収めた。いったいどこがどうすごかったのか?

約11年続いた最終回のエンディング。番組のメインであるビートたけしは、「テレビの第2次創成期の、バラエティのかたちとしては、『元気』はほとんどつくったなという自信はある」と誇らしげに語った。

1953年から始まった日本のテレビは、1980年代に新たな時代を迎える。それをたけしは「第2次創成期」と言ったのだろう。

確かにいまみても、いまのバラエティ番組の定番企画になっているものの多くはこの番組が生んだと言っても過言ではない。1985年のスタート時から、続々と斬新な企画が登場した。

たけしが社長で松方弘樹が部長、木内みどりが秘書、野口五郎、高田純次、兵藤ゆき、島崎俊郎、桑田靖子らが社員の「元気が出る商事」という会社があり、どんな企画でも請け負うという設定。大がかりな宣伝キャンペーンから街の素人発掘、そして新しいタイプのどっきりまで、実にさまざまな企画が生まれた。

その様子はまさに「企画の総合商社」。そして企画の多くは一般人を大々的に巻き込むようなものだった。テレビが現実を動かす時代の始まりである。

寂れてしまった商店街を番組の力で復興させる

まずきっかけは、「復興広告計画」。東京・荒川区の熊野前商店街という、寂れてしまった商店街を番組の力で復興させようという企画である。

たけしをモデルにした宣伝ポスターだけでなく、招き猫の顔の部分をたけしにした「たけし猫招き」を製作。除幕式を商店街でおこなったときには松方弘樹らも参加するとあって大盛況となった。なかには「たけし猫招き」に供え物をして拝む人まで現れた。

いまのテレビでもよく見るような企画だが、それまでは「テレビはテレビ、現実は現実」であり、テレビの力、それもバラエティ番組の力で現実を変えるという発想はなかった。

だから視聴者が新鮮さを感じ、商店街に殺到するという現象も起こったのである。ここからさらに、他の街の復興企画や知名度の低い大学のプロモーション企画などが放送された。

もちろん、視聴者はテレビにいいように操られていたわけではない。これもまたひとつの遊びであることを十分わかったうえで、企画に乗っかっていた。そしてこの“共犯関係”はさらにエスカレートし、さまざまな不思議企画へと発展していく。