アスリート化したフード・ファイター

そんな赤阪が、次世代を担う存在として後を託したのが小林尊である。整った風貌から「プリンス」と呼ばれ人気だった小林は、アメリカで毎年開催される「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権」で外国人相手に6連覇を達成して有名になった。

この小林の台頭を機に、フード・ファイターの世界も一気にアスリート化が進むことになった。トレーニングを積み、きっちり理論的に準備して数カ月前から大会に備える。そんなプロフェッショナルな姿勢で取り組むフード・ファイターたちが続々登場した。

「ジャイアント白田」こと白田信幸は、その代表格である。白田は「TVチャンピオン」での優勝もあるが、TBSで放送された「フードバトルクラブ」(2001年放送開始)の印象が強い。

2000年代、テレビ東京のみならず他局もその人気に目をつけ、大食い番組を制作するようになった。「フードバトルクラブ」は「最強のフード・ファイター」を決めるというコンセプト。優勝賞金も最大1000万円と破格だった。計4回開催されたが、3回目などは「The King of Masters」と銘打ち、年末と年始に前後編の特番として放送するほどの力の入り具合だった。

テレ東の時代の幕開け

「The King of Masters」の決勝は、10キロのカレーを500グラムずつに分け、20皿を最も早く完食した者が優勝というルール。

小林尊、山本晃也と争った白田だが、他の2人のほうはまったく見ようともせず、ただひたすらカレーを食べ続ける。その様子も急ぐ感じはなく、まるで普通の食事のように黙々と食べているのだがとにかく早い。結局18分55秒で20皿を完食。悠々と優勝を飾ったのだった。

白田はその恵まれた体躯もあって、「最強」のイメージにふさわしかった。4回開催された「フードバトルクラブ」の内、3回の優勝。大食いの代名詞的存在になった。

スプーンでご飯を食べる女性の口元
写真=iStock.com/Traimak_Ivan
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こうして「大食い」は、テレビエンタメのひとつのジャンルになった。その盛り上がりのさなか、2002年に中学生が早食いをマネして亡くなるという不幸な事故があり一時下火になったが、安全性を見直すなどの措置を取ったうえで復活。大食いは、テレビの定番企画としていまも盛んだ。

大食いの「元祖」のテレビ東京としては専売特許ではなくなったわけで、そのあたりはもどかしさもあっただろう。ただ見方を変えれば、大食い企画の定番化は、「テレビ東京の時代」が始まったことを示す大きな出来事だった。

一般人が食べるところだけで番組を成立させるというのは、考えてみればずいぶん思い切った企画である。そこには、王道ではなくその隙間を狙うというテレビ東京開局以来の「ニッチ狙い」の伝統が息づいていた。