屋形船の前社長が「側近から要求され渡した」と証言
篝火に浮かぶ鵜飼というのは情緒ある京都の夏の風物詩である。
伝統のある鵜飼は天皇家と縁が深く、「『日本書紀』神武天皇の条に残されているのは、鵜飼の起源とされる記述だ。律令制以前の日本では天皇に献上する贄の猟として行われ」(週刊文春2月9日号)ていたそうだ。
その鵜飼の屋形船を運営する会社の前社長が「使途不明金を賠償せよ」と訴えられ、裁判が行われているという。裁判の過程で、前社長のX氏が、「秋篠宮の側近から100万円を要求され渡した」と証言したと、文春が報じているのである。
一民間企業の経営者から多額の金銭が、その側近を経由して秋篠宮に渡っていたとすれば、秋篠宮家の家名に傷がつきかねない。経緯を見てみよう。
側近というのは奥野卓司氏で、文化人類学者で、公益財団法人「山階鳥類研究所」の所長だった人物だ。研究所の前身は、昭和天皇のいとこで鳥類学者の山階芳麿氏が1932年に設立した「山階家鳥類標本館」である。
秋篠宮が20歳になって初めて、公的な肩書として就任したのが、この研究所の総裁だったそうだ。学習院大学時代は、彼のライフワークであるナマズ研究のために何度も通い、今も月1回程度、オンラインで会議に参加しているというのだ。
10羽以上の鵜が病死したことを聞きつけ…
数多くの肩書を持っている秋篠宮だが、実際に活動しているということでは“別格”の存在だそうだ。秋篠宮は総裁、奥野氏は所長という関係だが、2人は2009年に共著を出していて、秋篠宮が発足に尽力し、常任理事だった「生き物文化誌学会」でも奥野氏は理事を務めているそうだから、親しい関係にあることは間違いないようである。
X前社長の話に戻る。彼がいた「嵐山通船」(京都市右京区)は創業1909年という老舗で、船頭たちが主な株主。近年の売上高は1億5000万円前後で推移していたという。
X氏が社長に就任したのは2017年1月だが、この年、感染症の流行で10羽以上の鵜が病死してしまったそうだ。
窮状を聞きつけた地元の宮司が奥野氏をX社長に紹介したという。2人は、感染症対策を強化した新しい鵜小屋の建設と、鵜飼文化の振興を目的に2018年2月に、一般社団法人「嵐山鵜飼観光文化振興協会」を立ち上げ、奥野氏は副理事長から、翌年には代表理事に就任している。
2018年秋には鵜飼協会が京都府の許可を受け、鵜小屋の建設もスタートしたそうだ。