根深い不安が飲酒の原因に

サムを駆り立てているのは根深い不安だった。「もっともっと高く上らなくちゃ」という思いに駆られ、称賛を求める。最終的に「私もまあまあだ」と感じたいからだ。私たちは2年かけて彼女を理解し、前に進む方法を探った。そんなある日、「一人で進む準備ができた」と彼女は言った。内側から勇気がわいてくるのを感じ、自分が抱えているストレスや緊張を理解し、一人で対処する方法を身につけたのだ。あれは誇らしい瞬間だった。

そして1年後、お酒をやめるためにセラピーを再開したい、というメールをもらった。先ほどの文章は、そのメールからの抜粋だ。

心理状態を把握する査定セッションをすると、多くのことが明らかになった。

第一に、サムは「人は苦痛への対処メカニズムとしてお酒に頼るので、お酒をやめたいなら、根本的な問題に取り組む必要がある」と信じていた。そうしなければ、お酒がやめられないばかりか、別の対処メカニズムに手を出して、さらに手がつけられなくなるからだ。「その通り」と私もうなずいた。

二つ目に、サムは、ストレスが飲酒の引き金になることも心得ていて、ストレス解消の努力をしていたけれど、お酒はやめられなかった。「なぜやめられないんだろう?」と、サムは首をひねっていた。心の奥に、セラピーで見つからなかった未解決の痛みが潜んでいて、それが飲酒の原因なのだろうか?

私はセラピストとして、「(一見)明らかな理由がないのに現れる、行動の根底に何があるのかに興味を持ってほしい」と、人生の大半を費やして人々に訴えている。

サムはこれまでに四人のセラピストに会い、その全員からそう勧められ、今や達人の域に達している。私もこの挑戦を受けて立とうと思った。一体何が起こっているのか? サムは、まだ自覚できていない何かと密かに闘っているのだろうか? 社会の不安が関係している? さまざまな考えがわっと頭に浮かんだ。

話をする人とメモを取る人のイメージ
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「意志の力」のわな

その日の遅い時間、患者の記録を書きながら、心理学者アブラハム・マズローの言葉にふと思いをめぐらせた。

「金槌しか持っていなかったら、何でもかんでも釘のように扱いたくなる」。英国国民保険サービス(NHS)で働いていた頃は、この言葉を付箋に書いて、デスクの上のパソコンに貼りつけていた。セラピストは「すべてのことに心理学的な深い意味がある」と考えがちだが、まったく違う何かが進行している場合もある、と思い出すためだ。サムは「抜け出せない」と言う人たちの例に漏れず、古い習慣を捨てたがっていた。そして、行動の根底にある問題に対処しさえすれば、行動を変えられる、と信じていた。自分で決めたことなのだから、と。

サムは、「意志の力」のわなにはまった、典型的な事例だった。