ロシア土産として有名な「マトリョーシカ」は、誰がいつ発案したのか分かっていない。その起源をめぐっては、「日本の入れ子七福神」がルーツだという説もあるという。慶應義塾大学の熊野谷葉子教授(ロシア民俗学)の著書『マトリョーシカのルーツを探して』(岩波書店)より、一部を紹介する――。
ロシア土産として有名なマトリョーシカ
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100年ちょっと前に生まれた民衆風木工品

ロシアのお土産として誰もが知っているマトリョーシカ。ずんぐりしたフォルムの女性の人形で、両手で持ってひねるとキュキュッという音を立てて上下に分かれる。中からは一回り小さい人形が顔を出し、それを開けるともう一つ、またもう一つ……と次々に出てくるのがユーモラスで、何だか笑いを誘う。

描かれている女性がロシアの民族衣装である「サラファン」(肩ひも付きロングスカート)と「プラトーク」(スカーフ)を身に着けていることもあって、マトリョーシカは昔からある民衆工芸品だろうと思われがちだが、実はその存在は19世紀末までしか遡れない。

しかも農民が自分の子どものために手作りした素朴な民衆玩具などではなく、最初から都会の店で販売することを目的として考案され、腕利きの木工職人が高速回転する木工ろくろで木屑を散らしながら削り出していた、いわば民衆風木工品である。

木を削り、女性の姿を描いたのは誰なのか

ということは確かなのだが、実はマトリョーシカ誕生の詳しい経緯は謎につつまれている。誰がいつ考案し、誰が最初に木を削ってあのフォルムを作り出し、誰が女性の姿かたちを描いたのか。たった120年ほど前のことだというのに、そしてこんなに有名な工芸品だというのに、実はそんなことも分からないとは驚きだ。

そこで私は、ロシアへ行くたびに少しずつ、マトリョーシカ誕生に関して言われているさまざまな事柄を探ってみた。また日本では、後述する「マトリョーシカ日本起源説」の証拠を求めて各地を訪れたり、専門家や蒐集家に話を聞いたりもした。

その結果――マトリョーシカ誕生をめぐる謎は未だ完全に解けてはいないのだが――木工芸を軸とする日本とロシアの歴史、挽物ひきもの(*)に関する日露の共通点や差異について、いろいろ面白いことが明らかになった。本書はそれを紹介していく、いわばマトリョーシカの謎探訪記である。

*挽物とは、木工ろくろを使い、回し削って作られる木工品のこと。椀や鉢なども挽物である。