「温厚な禿げ頭の老人の人形」がモスクワへ?

マトリョーシカ日本起源説がもともとソ連で言われ始めたものであることは、民俗学者・大木伸一氏による1973年のエッセイ「マトリョーシカとこけし」でも明らかだ。

大木氏はこのエッセイの冒頭で長谷川氏とほぼ同じ日本起源説を紹介したのち、自分がその話を当のセルギエフ・ポサード(当時は「ザゴルスク」)で博物館員にした、と書いている。すると博物館のガイドは「ソビエト芸術の威信に触れでもしたかのように」否定したため、大木氏は食い下がって「でもソ連の民族学者が言っているのですから……」と言っているのだ[大木1973:76]。

大木氏は出典を示していないが、1969年にはロシアで小さな本『マトリョーシカ』が出ており、著者モジャーエヴァ氏はその冒頭で「フクルマ」の名前も出している。

1890年代に、A・マーモントフのモスクワの玩具工房「子どもの教育」に日本から温厚な禿げ頭の老人の人形が持ちこまれた。その人形は賢人フクルマを表しており、常に思考していた彼の頭は上に長く伸びている。フクルマは開くようになっており、その中にはさらにいくつかの人形が入れ子になっていた。これらの人形は気に入られ、我々のマトリョーシカの原形となった。
[Можаева 1969]
七福神の入れ子人形。道上コレクションより,七福神No.230(道上克氏蔵)
七福神の入れ子人形。道上コレクションより、七福神No.230(道上克氏蔵)

おもちゃ博物館によると「推測レベル」

著者のモジャーエヴァ氏がおもちゃ博物館(*)の職員とされたことから、この記述はおもちゃ博物館の公式見解として伝わり、その後ソ連の新聞や雑誌、一般向けの書籍などで繰り返されることとなった。

*ロシア革命以前に創設され、ソ連時代を通じてずっと世界の玩具を収蔵・展示してきた博物館。同館には、現存する最古のマトリョーシカと言われる、通称《雄鶏を抱いた娘》も収蔵されている。

しかし当のおもちゃ博物館の現在の館員に確かめると「推測のレベルの話」だと言い、根拠はないという(2009年9月におもちゃ博物館館員ナターリヤ・ポリャコヴァ氏が筆者のインタビューに答えて語ったもの)。しかし日本ではロシア語の分かる大木氏のような著者を通して日本起源説が広まり、次第に学術的な記事にも見られるようになる。