〈東北の被災地は、完全にネタになってんですね。オレら東北の人間は忘れられるわけないのに〉
2012年3月11日、久田将義さんのもとに、かねてから取材を続けてきた福島第一原発の若い作業員からメールが届いた。そこには「復興」や「絆」をことさら連呼するテレビ各局の“震災特番“に対する違和感が率直に綴られていた。
原発事故当初から、政府や東京電力の関係者の話は様々なメディアが取り上げてきた。
「現場の一兵卒の話はほとんど出てこない。政府や東電という司令官に命じられて最前線の戦場に赴く一兵卒の言葉を届けなければ、と思ったんです」
昨夏、久田さんは東電の〈下請けの下請けの下請けの)建設会社で働く20代の青年と出会った。全身にタトゥを入れた3人の不良たちだ。
20キロ圏内の「相双地区」で生まれ育った彼らは、3.11以前から原発内で働いてきた。事故後は復旧作業に携わっていた。そして、何よりも、家や日常、ふるさとを奪われた被災者でもあった。
何度も話を聞くなかで久田さんは、彼らの気持ちの揺らぎに気づく。たとえば、地元のために、と壊れた原発に向かう日もあれば、自分たちは使い捨てにしか過ぎないのでは、と思い故郷に見切りをつけようかと考える瞬間もある。
不安は大きい。それでも、彼らは、強がり、悩みながら、史上最悪の原発事故の現場で身を晒し続けていたのだ。
「ぼくが主観や解説を入れていくよりも、彼らの言葉をそのまま伝えたかったんです」
〈放射線食った(注・被曝の隠語)としても仕事しないと金貰えねえから〉〈東北は日本じゃ扱い低いんすかね〉……。
久田さんは、彼らが語るライフヒストリーを方言や口調も含めて忠実に再現して記していく。本書に刻まれたのは、時間をかけて彼らに伴走したからこそ、聞き得た“生の声“である。
アウトロー世界や裏社会を扱う雑誌「実話ナックルズ」の編集長を長らく務めた久田さんは、「現場の一兵卒」を一顧だにせず、早くも原発事故の収束を宣言した東電や政府に対する憤りを隠さない。
「原発事故には、とことんまで付き合っていくつもりです。東電の問題を糾弾して、現場の人たちの声に耳を傾けていきたい。人間の命が関わっていますから。それが、彼らの悲痛な叫びを聞かせてもらったぼくの義務だ、と感じているんです」