2011年、日本で発生した「3.11」を見て、4日後には約半分の原発を停止し、4カ月後には「脱原発」を決定したドイツ。なぜこのような決断を行ったのか。ドイツのエネルギー最前線を報告する。

「3.11」で発生した福島第一原発事故は、日本から遠く離れたドイツでもただちにマスメディアを通じて報じられた。ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、原発の爆発の瞬間、テレビに釘付けになった。旧東ドイツの大学で理論物理学を学び、その専門家でもあるメルケルにとって、日本の福島で発生した大惨事は他人事ではなかったのだ。

彼女の決定は素早かった。事故発生から4日後には、古い原発7基の停止と、全原発の安全調査を命じたのだ。

その2週間後、南ドイツのバーデン・ヴュルテンブルグ州の選挙では歴史的な変化が起きる。脱原発を旗印に掲げるリベラル系の「緑の党」が第二党に躍進し、第三党となった中道左派の社会民主党(以下、SPD)と連立政権を組んで過半数を獲得。ここに史上初となる緑の党出身の州首相が誕生したのだ。

同州の州都シュツットガルトには、ダイムラー、ポルシェ、ボッシュなど世界的な企業が本社を構えていて、メルケルが党首を務める中道右派のキリスト教民主同盟(以下CDU)が58年間、地元の政権を担ってきた。いわば、保守的な地盤でのリベラル政権の突然の誕生だった。“政治的に敏感な動きを見せる”(地元ジャーナリスト)と称されるメルケルの政治運営にも大きな影響を与えたようで、メルケルも「福島原発の大事故を巡る議論が敗因として大きい」と述べている。

その後、4月早々に、メルケルは有識者による「安全なエネルギー供給」のための倫理委員会を設置させた。そこで、メルケルはドイツ16州の知事とエネルギー政策の転換について協議するなど、ここで再生可能エネルギーに転換する意思を固めた。同委員会は「遅くても2022年までに原子力発電所を停止する」と提言し、メルケルも同意したのだ。

6月初旬には「脱原発」関連法案が閣議決定され、連邦議会でエネルギー法案の審議が開始された。そして6月30日には左右、与野党を問わない圧倒的な賛成で「脱原発関連法案」が可決されたのだ。7月8日には、連邦参議院の決議を経て、8月31日に同法案が執行され、ここに「脱原発」が確定した。「3.11」から連邦参議院の決議まで、ほぼ4カ月のスピード確定だった。

※すべて雑誌掲載当時

(撮影=渡邉 崇)