もはや、国家の体をなしていないのではないか。国が国民の命と国土を守ることは、曲がりなりにも国民が法に従い、税金を払う大前提である。この大惨事に日本の中枢は、やるべきことのことごとくをサボタージュした――。
なぜ、「議事録を残してない」のか
驚くべき事態が判明した。東京電力の福島第一原発事故で、住民の避難区域や除染の基本方針、農作物の出荷制限など、原発事故をめぐる重要事項についての意思決定を下してきた政府の「原子力災害対策本部」に「議事録」がないというのだ。事務局を務めるのは経済産業省原子力安全・保安院。2011年11月に会議情報の公開を求められた保安院の担当官僚が、12年1月に入って「議事録はまったく残していない」と回答したのである。
議事録作成の作業責任は当然、同保安院にある。担当者は、「忙しかったから」と釈明にもならない言い訳をしているという。議事録がなければ当然、会議での具体的なやりとりは“闇の中”だ。
「公文書管理法」では、政府の意思決定の過程を検証するために、重要な会議の記録を残すよう定めている。議事録ゼロなど通常はあり得ないことだ。1月23日の記者会見で藤村修官房長官は、政府内で調査して議事録を“復元”する考えを示し、翌24日には枝野幸雄経産大臣が文書作成を指示。保安院が出席者のメモや記憶で会議内容をまとめた文書を作り、2月中にも公開するという。
しかし、それはもはや「議事録」とは言えまい。責任逃れのために都合よく事実関係が捏造される可能性があるからだ。公文書管理担当の岡田克也副総理は、「震災直後の政府の緊急災害対策本部でも、議事録が作成されていない疑いが濃厚。震災関連のほかの会議でも同様の検証が必要」と述べている。
実は、本当は議事録があるにもかかわらず、会議内容の隠蔽を目的に作成しなかったことにしたのではないかとの疑いがある。そうなると、もはや日本はまともな国家ではないことになる。もし、官僚がそこまでして隠したい事実があるとしたら、それは何か。