パニック抑制よりも、国民の安全確保を
原発事故では、放射性物質が飛散して沈着した場所だと知らされずに、そこに移動した多くの人々が、しなくてもよかったはずの被曝に見舞われた。事故直後の3月21日、政府の情報隠蔽に危機感を覚え、取り急ぎ送稿した11年のプレジデント記事「5年前に指摘されていた福島原発『津波』への無力(>>記事はこちら)」(4月18日付、3月28日発売号)で、筆者は「情報が開示されず“金縛り”に遭ったまま、国民は危機回避の機会を奪われている」ことを伝えた。政府と自治体が、従来から準備していた放射性物質拡散予測システムの情報に基づいて住民を適切に誘導していたら、乳幼児を含む多くの人々の被曝量はかなり抑えられていたはずだ。
原子力安全委員会が放射性物質の拡散予測データを本格的に公表したのは、瞬間的に一部を公表した3月23日を除けば、事故が勃発した3.11の2カ月後である。その間、拡散予測情報は伏せられ続け、危険エリアを知らされずそこに避難していた住民たちは時々刻々と被曝し続けた。
ところが、拡散予測データは事故当日にはすでに出力されていた。そのため、反原発の世論の勢いで経産省の情報操作と東京電力の金の力から一時は遊離しかけた一部のマスメディアが、批判の矛先を「データの非開示」に集中した徴候もあった。
しかし、問題の本質はデータ公表の有無ではない。住民の被曝を予測したにもかかわらず適切な誘導をしなかった政府の非人道性と犯罪性こそが問題なのである。乳幼児を抱えた住民が危険エリアで被曝し続けていることを承知で、それを黙視し放置し続けた理由と責任が問われなければならないからだ。政府を信頼した国民を平然と裏切った担当官僚は当然、法に基づいて断罪されるべきだろう。
いったい、誰が、なぜ、どのような思惑で、そのような冷血な不作為を成し得たのか。また、その行為はいかなる法的根拠に基づいているのか。
法に基づいて責任の所在を明確にしなければ法治国家とも文明国ともいえない。
国民に被害をもたらす災害への対処と責任について、法律は政府に対してどのように命じているか。災害対策基本法第3条には、政府の責務がこのように記されている。
「国は、国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護する使命を有することにかんがみ、組織及び機能のすべてをあげて防災に関し万全の措置を講ずる責務を有する」