自ら豚を飼い、食べる。
2009年8月からの約1年間、内澤旬子さんは千葉県旭市に借りた古い民家で、3匹の豚とともに暮らした。きっかけはベストセラーとなった『世界屠畜紀行』を書き上げた後、講演の依頼を受けるようになったことだった。
「これまで私は世界中の屠畜場の取材をずっとしてきたけれど、豚の生態についてあまりよく知らなかった。それをきちんと知っておくべきだと思ったんです」
だが、豚の生態をただ知るだけなら、これまで通りの「取材」でも事足りる。そこには次のような問題意識もあったという。
例えば写真を紹介しながらの講演を終える時、必ず語られる感想に「命を戴くことの重さを感じた」というものがあった。
「聞く度に、何か思考停止をしてしまっているような違和感を抱いたんです」
結果、豚に伸(しん)、夢(ゆめ)、秀(ひで)と名前を付けて可愛がり、それを食べるまでの経緯を描いた本書は、その「違和感」の正体を探る彼女の内的な記録にもなったのだ。
「農家で豚の出産を見ると、生まれた瞬間から死んでしまう子豚がいます。私たちが日々食べている肉は、生と死が同居する現場で作られている。豚は飼うと可愛いし、一緒にいた日々は本当に楽しかった。でも可愛いとか可哀そうという感情だけが肥大化していくと、本来は両方あって成り立っている世界の大事な片方が見えなくなってしまう。動物の死の現場を社会が遠ざけていることに対する不安感が、私の中にあるんですね」
本書の終局、彼女は3匹の豚を食べる。そのとき思いがけず抱いた「戻ってきてくれた」という感覚――様々な葛藤を振り絞るようにして描かれるそのシーンを読むと、動物を食べて生きることの意味や「豊かさ」についての思考を促される。
「あの感覚に向かってあの3匹との日々を書きました。以来、私も『命を戴く』という言葉に対する違和感がやっと消えた。これまでどうしても嫌だった言葉が、すとんと胸の奥に落ちた気がしたんです」