東日本大震災をめぐって数多くのノンフィクションが上梓されているが、本書はなかでも、ひときわ地味なテーマに取り組んだ作品ではなかろうか。著者が焦点をあてたのは、三陸海岸を青森から仙台まで貫く国道45号線の復旧作業だった。
「ぼくが震災の1カ月後に初めて被災地を訪れたときに印象深かったのは、瓦礫の山に覆われた沿岸地帯に車の通れる1本の道だけが線のように通っていて、町と町とを確かにつないでいることでした」
国道45号線は、ときに「命の道」と表現されるほど重要な流通路だ。新聞報道によると、国土交通省は震災後わずか1週間で内陸から沿岸までのルートを確保し、約510キロにわたるこの国道の97%を通行可能にしたと発表した。
地震と津波で道路は寸断され、沿岸地帯の多くの場所が孤立して物資不足に陥った。道が開かれなければ救助は行えない。そんな差し迫った状況で「いったい誰が、どんな思いで作業を行ったのか。書き残しておかなければいけない」と著者は考え、その後10カ月間、現地に足しげく通った。
取材を続けているうちに、報道だけではうかがい知れない事実に出合った。
「瓦礫を撤去して道を開く作業を『道路啓開』といいます。その中心的役割を担ったのは国からの命を受けた自衛隊や国交省の職員、そして国交省管轄の道路を維持する大手の建設会社の人々でした。しかし、それ以外の人たちもたくさん関わっていたことがわかったんです」
それ以外の人たちとは、地元の建設会社や重機の免許を持つ人々のこと。家族の安否も確認できないまま目の前の瓦礫の除去に向かっていく人、行政からの指示を待つことなく緊急を要する道路復旧の作業を自主的に進める作業員、燃料や水や食料をかき集めて無償で運搬する他県の業者……。宮古市、南三陸町、気仙沼市、釜石市で人知れず行われていた復旧作業について、著者は自分の感情を表に出すことなく、作業に携わった人々の証言をもとに事実を淡々と再構成していく。
「ちっぽけな自身の思いより、シーンを描きたかった」
本書は、釜石市へ派遣された九州地方整備局の職員のエピソードで終わる。任務を終え、博多の街へ戻った職員は、被災地と自分の暮らす街の落差に戸惑い、思った。
〈なんて何も変わらないんだろう……〉
著者の感情が隠しきれなかった件(くだり)である。