織田信長と徳川家康の関係はどんなものだったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「同盟相手ではあるが、事実上の主従関係にあった。家康にとって信長に従属するメリットは大きく、信長を殺そうと考えたことはなかっただろう」という――。
これはあり得ないと思った家康のセリフ
戦慄を覚えた視聴者も少なくなかったのだそうだ。NHK大河ドラマ「どうする家康」の第26話「ぶらり富士遊覧」(7月9日放送)のラストシーンで飛び出した徳川家康(松本潤)のセリフに対して、である。
第25話「はるかに遠い夢」(7月2日放送)で、有村架純演じる正室の築山殿(ドラマでは瀬名)と嫡男の松平信康(細川佳央太)を死にいたらしめた家康だったが、それから2年余り。武田勝頼(眞栄田郷敦)を滅ぼして安土に帰る途中の織田信長(岡田准一)を、富士山麓で手厚くもてなすなど、以前と違ってどこまでも信長に従順な家康に、家臣たちは不満を募らせるばかりだった。
そしてある晩、家臣たちが家康に詰め寄り、本多忠勝(山田裕貴)は「左様なふるまいを続けるなら、ついていけませぬ」と言い捨て、酒井忠次(大森南朋)は「そろそろ、お心うちを」と問いかけた。すると、家康は「わしもそう思っておった」といい、こう言葉を継いだのである。
「信長を殺す。わしは天下をとる」
これを、本能寺の変の黒幕が家康だという説かもしれない、と受けとる向きも多く、ドラマの続きへの関心が高まっているようだから、視聴率アップには貢献するかもしれない。だが、そもそも、家康が「信長を殺す」という発言をする可能性があったのか。あったとすれば、その根拠はなにか。
結論を先に述べるなら、そんな可能性はなかったというほかないのだが、では、「どうする家康」では、どんな根拠にもとづいて家康にそう発言させたのか。そこを最初に明らかにしておきたい。