絶好調のグループ会社の経営トップにだれが逆らうか

柴裕之氏は『徳川家康』(平凡社)のなかに、次のように書き記している。

「実際に信長が進めた天下一統事業とは、戦国大名や国衆の領国自治を否定することはなく、むしろそれを前提として、天下=中央が諸地域『国家』を政治的・軍事的な統制と従属関係のもとに統合することであった。それは、織田権力の天下のもとに築かれた『国家』(統合圏)に諸地域を取り込むような、現代の企業にたとえるなら、グループの子会社化であったとイメージしてもらえればよい」

しかも、この当時、信長は織田家の家中にとどまらず、かなり広く「公儀」「天下」「上様」などと呼ばれ、すでに統一権力であると認識されていた。柴氏のたとえでいうなら、織田グループは破竹の勢いで業績を伸ばして覇権を築き、それが周囲にも認められていた。

グループ下で、十分な利益を得ている子会社の社長が、グループのトップに恨みをもちクーデターを考えるなどということがありうるだろうか。ましてや、子会社の社員たちが、グループのトップに従順な子会社社長の姿勢に対して我慢の限界に達するなど、あるわけがない。

もはや歴史ドラマではない

信長とのあいだに「主従関係」がある以上、家康が「信長の犬」のようにふるまうのは当たり前のことで、当時の常識からして、家康の家臣はみな、それを当然のこととして受け入れていたはずである。きっと脚本を手がけた古沢良太氏も、そのことはわかっているのではないだろうか。だから、家康は妻子の命を奪った信長が許せない、という見せ方をするのだろう。

実際、第27話「安土城の決闘」でも、妻子の死があってから、以前のようには信長に仕えることができない家康に向かって、信長が「妻子を死なせてすまなかったとオレが頭を下げれば気が済むのか? オレは謝らんぞ」といった発言する場面があったようだ。

しかし、何度も言うけれど、妻子の失態は家康が招いたことであって、家康が自らの判断で彼らを処断したというのが、研究者たちの共通認識である。

家康がこの件で信長を逆恨みしつづけ、挙げ句、「信長を殺す」と発言するなど、家康が冷静な判断ができないよほどの愚将だったならともかく、ありえない。

もし、かつて考えられていたように、築山殿と信康の死が信長の指示によるものであったなら、ドラマで家康に「信長を殺す」を発言させ、そこにリアリティをあたえることも可能だっただろう。それなら歴史ドラマの脚本として「アリ」かもしれない。

しかし、史料や近年の研究成果などから明確に否定されることを、脚本の大きな前提として採用してしまっては、もはや歴史ドラマではない。番組の最後に「このドラマはフィクションであり、実在の人物や団体などとは関係ありません」というテロップを流すなら話は別だが……。

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