香味野菜「パクチー」が日本で広く食べられるようになったのは、この10年ほどのことだ。その火付け役といわれるのが、東京・経堂にあった日本初のパクチー専門店「パクチーハウス東京」。満席続きの人気店だったが、2018年に閉店。その店主は、いま千葉県鋸南町で「パクチー銀行」を開いている。その異色の活動について、フリーライターの川内イオさんがリポートする――。
JR保田駅前にあるパクチー銀行。
筆者撮影
JR保田駅前にあるパクチー銀行。

「パクチー銀行」を開いたパクチー伝道師

東京駅から千葉方面へ下って2時間20分ほどで、JR内房線の保田ほた駅に着く。無人の改札を出ると、最も目立つところに、恐らく誰もが「⁉」と二度見する建物がある。そこには、「パクチー銀行」と記されている。オーナーは佐谷恭さたに きょうさん。

パクチー好きなら、彼の名前を聞いたことがあるかもしれない。2007年11月、飲食の経験ゼロで東京・経堂に日本初のパクチー専門店「パクチーハウス東京」を開いた。その理由が、「自分にできることはパーティーと乾杯だけだから」。

当時、一般的ではなかったパクチーをあらゆる料理、デザートに入れる徹底ぶりと、パーティー、乾杯のスキルを存分に活かしたユニークな店づくりで話題になり、なんと、2011年5月から一日も欠かさず満席が続いたという。

そして2018年3月10日、最前線で活躍していたアスリートが全盛期に身を引くように、自らの43歳の誕生日パーティーを最終営業として、満員御礼の記録を更新し続けながら閉店。多くのファンに「出会い」と「思い出」を残したパクチーハウス東京の伝説は幕を閉じた……はずだった。

ところが2022年1月1日、パクチーの伝道師は千葉県鋸南町の保田駅前にパクチー料理を出すカフェ兼ギャラリー「パクチー銀行」をオープンした。取材の日、店先に掲げた「パクチー銀行」の文字を指さした佐谷さんは、「日本銀行券と同じフォント使ってるんですよ。いいでしょ」と言って、ニヤリと笑った――。

※編集部註:「パクチー銀行」は通称で、法人名ではありません。正式名称は「SOTOCHIKU & 89 unLtd.」で、佐谷恭さんが代表を務める「旅と平和」などが運営するカフェ兼ギャラリーです。(7月11日13時5分追記)

オーナーの佐谷恭さん。
筆者撮影
オーナーの佐谷恭さん。

京大での「楽し過ぎた」4年間

1975年、神奈川県秦野市で生まれた佐谷さんの「パーティー人生」は、浪人中に通っていた横浜の駿台予備校で幕を開ける。

「夏の模試の後、飲もうぜって声をかけたら、僕がいた東大文系スーパークラスの80人中60人ぐらいが参加することになってね。それがすごく楽しくて、月に2回ぐらい飲み会を開くようになったんです。もちろん、親には『勉強で遅くなる』と言っていました(笑)」

迎えた受験の冬、クラスメートの大半が東大を受験するなか、佐谷さんは現役時から志望していた京大を受け、合格した。

京都での佐谷さんは、実に慌ただしい。まず、バックパッカーになって約20カ国を旅した。在学4年のうち、約1年を海外で過ごしたという。さらに、在学中に4つのサークルを立ち上げた。サークルは飲み会とセットのようなもので、いつもその主催者としてジョッキを握っていた。