辞めた後になにをするのか特にあてはなかったので、京大で仲良くしていた先輩で、ちょうど佐谷さんが退職した2000年、リサイクルワンという会社を立ち上げていた木南陽介さんに連絡を取った(2014年にレノバに社名変更、2017年に上場)。創業間もない同社の「お手伝い」として加わった佐谷さんは、数カ月働いては長旅に出るという自由度の高い生活に変わった。

パクチー料理をつくるオーナーの佐谷恭さん。
筆者撮影
料理をつくるオーナーの佐谷さん。

イギリスの大学院で考えた「旅と平和」

しかし、旅を続けているうちに、「旅というテーマで世界を考えたい」と思うようになり、2003年9月、イギリスのブラッドフォード大学大学院に入学する。

同大学は、世界で初めて学問として「平和」を取り上げたことで知られ、130人いた同級生は国際機関や国際NGOで働いている人も少なくなかった。そのなかで、佐谷さんは「旅と平和の可能性」について修士論文を書いた。

「例えば中国と一触即発になった時、中国にいっぱい友だちがいる人は『ちょっとやめてよ!』ってなりますよね。これからの時代は、旅とインターネットによって、個人レベルのつながりが平和への一歩になると思ったんです。日本人は外に出たがらない人も多く、外の世界に興味がない。その日本人の気持ちを1ミリずつでも動かすことができたら平和につながるんじゃないかと」

日本人のパスポート保有率は、現在も17.8%(2022年度)に過ぎない。引っ込み思案の日本人がもっと海外を身近に感じられるようにするために、メディアを活用すればいいと考えた。

イギリスの大学院は1年で終わる。修士論文「旅と平和」を書き終えた2004年8月、偶然にも堀江貴文氏率いるライブドアが報道部門を新設し、スタッフを募集するという求人広告を目にした。同年に起きた近鉄とオリックスの球団合併とその買収にまつわる騒動以来、ライブドアに興味を持っていた佐谷さんは、「おもしろそう!」とすぐに応募し、採用された。

「自分にできることは、パーティーと乾杯だけ」

ライブドアでは、大手メディアにほとんど取り上げられないようなジャスダック上場企業の社長やNPOの代表者のインタビューをして記事を書いていた。仕事は充実していたが、なにかと「事件」の多い会社だった。2006年に結婚し、子どもができたとわかるとひとりで勝負しようと腹をくくった。

「子どもと同じように、自分も成長したい。僕が思うような形で自分の経験を社会や世界に還元するには、自分でやるしかない」

この時も、特にやりたいことがあったわけではない。独立を決めた2006年の10月から、ライブドアの報道部門が不採算を理由に閉鎖される2007年3月までの半年間、佐谷さんはなにをしようか、なにができるか、じっくり考えた。

パク塩
筆者撮影
独自に開発した「パク塩」。