その時に改めて実感したのは、「自分にできることは、パーティーと乾杯だけ」。実は、社会人になってからもパーティーの主催を続けていた。それは単純に楽しいという理由ではなく、年齢、性別、所属を超えてポジティブな雰囲気なるパーティーには価値があると確信していたからだ。

いいパーティーは、偶然生まれるものではない。主催者として数えきれないほどの乾杯を重ねてきた、そのノウハウとスキルを活かすには、どうしたらいいか。当初は飲食店の定休日にお店を借り上げ、「旅と平和」をテーマにゲストを呼んで、その活動を支援するファンドレイジングパーティーを開催するビジネスを考えた。

事業化を目指し、飲食業界の構造を学ぼうと手始めに30冊ほど関連書籍を買い込んだ。回転率というケチな発想に、まず絶句した。さらに当時のトレンド、膝をついて注文を受ける「膝つき接客」についての解説や顧客との距離を置く日本の飲食業の独特のスタイルが「常識」とされる業界に「従いたくない」と感じた。

パクチーの潜在需要

それ以来、飲食業界の課題が目につき、「自分ならこうする」というアイデアがいくつも浮かんでくるようになった。それが数カ月続いたある日、意外な言葉が舞い降りてきた。

「自分でやっちゃえば?」

脳裏に浮かんだこの言葉が、背中を押した。

「僕はいつも飲む側で、飲食店で働いたこともないし、最初はちゃんちゃらおかしいと思ったんだけどね。飲食業ってシンプルだし、初めてやる商売として悪くないかなと思ったんです」

飲食店を始めるとして、なにを出すのか。そこに迷いはなかった。パクチーだ。

パクチー
筆者撮影
料理は独学で身に着けた。

「初めてパクチーを食べたのは、カンボジアです。大きく育ちきった太いパクチーを鍋で煮る料理があって、ぜんぜん噛み切れないし、とんでもなく強烈な味がしました。なんでこんなの食べるんだろうと思っていたんですが、その後、旅先のあちこちでパクチーを食べたらすごく爽やかなやさしい味わいで、ビックリしたんですよね。最初のインパクトと味のギャップでパクチーにはまりました」

パクチーの魅力にとりつかれた佐谷さんは2005年、日本パクチー狂会を設立。当時まだ珍しい食材だったパクチーを全国に広めようと、足を運んだ飲食店でパクチーの宣伝に努め、友人知人には種を渡して自家栽培を促した。

この活動をしながら、「日本には意外なくらいパクチー好きが多い。でも、パクチーがあるべきところにない」という潜在需要を感じていた。食材といえばパクチー以外なにも知らなかった佐谷さんにとって、ほかに選択肢はなかった。

パクチー
筆者撮影
パクチー銀行で使うパクチーは長野県の生産者から仕入れている。