「EVバブル」で見落とされている重要な問題

ハイブリッドは燃費低減効果はあるものの、エンジンを使っているため走行中に二酸化炭素が出てしまう。ガソリンを燃やす以上、二酸化炭素は減らせてもゼロにはならない。その点、バッテリーに蓄えた電力でモーターを駆動するEVからは、二酸化炭素が一切出ない。とてもシンプルな話だ。たった数行で説明できる。このわかりやすさがEVバブルの本質である。

しかしこの議論には重要な視点が欠けている。果たしてその電気はいったいどこから来るのか、という点だ。自宅の屋根にソーラーパネルを付けている人は別として、EVは発電所から送られてくる電気で充電する。その発電所が火力発電所であれば、二酸化炭素の出口がクルマの排気管から発電所の煙突に変わっただけだ。発電構成は国によって異なるが、石炭火力発電の多い中国やインドではハイブリッドからEVに置き換えると二酸化炭素は逆に増えてしまう計算になる。

つまり、EVの普及と発電構成の改善はセットで進めなければ意味がない。さらに、EVの心臓部であるリチウムイオンバッテリーは、製造時に大量の二酸化炭素を発生する。クルマが製造されてから廃棄されるまでのトータルでの二酸化炭素排出量を示すLCA(ライフ・サイクル・アセスメント)で眺めるとEVはさらに不利になる。

「100%EV」にするだけでは脱炭素にはならない

LCAはまだ学問的に確立されたものではないため、前提の置き方によって結果に差が出るが、世界はLCA基準で二酸化炭素排出量をカウントする方向へと向かっている。その際、個々の工場や企業、あるいは地域単位で「うちは再生可能エネルギーを使ってバッテリーを生産していますよ」と言ったところで、書類上はクリーンになるのかもしれないが、トータルでの二酸化炭素削減にはつながらない。

つまり、もし本気で二酸化炭素を減らしたいのであれば、製造時やリサイクル、廃棄時に使われる電力を含め、すべての電力を原子力発電や再生可能エネルギー由来にしなければ、たとえ100%EVにしても脱炭素にはならないということだ。

EV以外は決して認めようとしない原理主義者たちは、「発電構成がどんどんよくなるのだから、それに備えてEVを選ぶのが正義だ」と簡単に言う。たしかに石炭火力発電が減り、LNG(液化天然ガス)や石油も減り、太陽光や風力発電が順調に増えていけばそういうことになる。

しかし、すでに面積当たりの太陽光発電容量がダントツ世界一の日本には、太陽光パネルの設置場所がほとんど残されていない。だから森林を伐採してまでメガソーラーを建設している。水力発電用のダム好適地も、あらかた開発し尽くしている。頼みの綱の風力発電もコスト競争力改善のめどは立っていない。当然ながら、原子力発電をそうやすやすと増やせない事情が日本にはある。