「女は結婚したら実家を出る」は日本古来の伝統ではない。古典エッセイストの大塚ひかりさんは「平安の貴族社会では、新婚家庭の経済は妻方で担われ、女は実家を離れないのが基本だった。家土地に関しても男子と対等な相続権を持っていた」という――。

※本稿は、大塚ひかり『ジェンダーレスの日本史 古典で知る驚きの性』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

十二単を着た女性のイラスト
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なぜ古代の日本女性には力があったのか

経済を掌握していることは、男女を問わず、力の源です。

太古、首長が男女半々だった理由にはさまざまなものがあるのでしょうが、鎌倉時代に至っても“女人入眼ノ日本国”ということばが伝えられていたほど、日本の女に力があったのは、財産権が強かったからにほかなりません。

古代においては、「親の財産は兄弟姉妹間に均等に分割されるという当時の家産相続上の慣行」があり(関口裕子『日本古代女性史の研究』)、それは女の相続が生きている一代限りのあいだだけとなる鎌倉中・後期になるまで続いていました。

古代から中世にかけては女子にも男子と対等な相続権があったのです。

それどころか、『源氏物語』や『栄花物語』(正編1029〜33ころ、続編1092以降)といった平安文学を読むと、少なくとも貴族社会では、家土地に関してはむしろ女子の相続権が強い印象です。