江戸時代と北朝鮮はとても似ている
NHK大河ドラマは、松本潤主演の「どうする家康」だ。家康を描くのは「徳川家康」(1983年、滝田栄主演)、「葵 徳川三代」(2000年、津川雅彦主演)に次いで三度目である。
家康は「狸親父」として嫌われていたが、戦後になると辛抱強く困難を克服して出世していく姿がサラリーマンの共感を呼ぶようになった。また、江戸時代が再評価されて「江戸に学べ」という人が多くなると、家康が理想の経営者だという人も増えた。
環境重視・平和国家・地方分権だと賞賛されるのだが、江戸時代の人ははたして本当に幸福で、明治維新や文明開化のために日本は悪くなったのだろうか。
明治国家による近代化は、世界史上でもまれに見る偉業だと世界から評価されてきた。ところが、江戸時代を礼賛する人は明治以前の封建時代を褒めて学べというのである。この腑に落ちない賛辞は、「北朝鮮は地上の楽園」というのに似ている。
江戸時代と北朝鮮の現在はとても似ている。世襲権力による支配、鎖国体制、モノの不足がゆえのリサイクル、密告による体制維持などが同じだ。江戸や平壌の市民を優遇して、人々の不満が体制を脅かすのを避ける仕組みもそっくりだ。
確かに戦争のない、安定した時代だったが…
もちろん、いつの時代にも、貧しくとも安定し変化のない時代を懐かしむ人はいる。戦前の朝鮮半島での日本統治を批判して、「苦しかったけれどもそれなりに生活していた朝鮮の農民は、昔に比べてずっと不安定な生活に落としいれられた」という陳腐な前近代礼賛論を著名な左翼知識人が主張するのにはあきれたが、この人は北朝鮮擁護の急先鋒でもあった。
北朝鮮も悪く言われすぎかもしれない。体制は安定し、治安が悪いわけでもない。教育も普及しているし、韓国と違って海外に派兵したこともない。しかし、江戸時代も北朝鮮も、自由はなく身分は固定し、世界文明の進歩とともに歩まず、その成果を国民が受けられないでいる。
戦国時代が、貧農出身の豊臣秀吉が天下を取れるような自由な社会であり、宣教師たちが驚くほど女性が輝いていた時代だったのに(拙著『令和太閤記 寧々の戦国日記』ワニブックス)、江戸時代には李氏朝鮮から導入した朱子学を公式の学問とした結果、封建主義が徹底されたのである。