貴族社会では新婚家庭の経済は妻方が担っていた

そしてそこには、当時の結婚形態が関係している。

貴族社会では、男が女の家に通い、新婚家庭の経済は妻方が担い、衣服を調達して、婿の出世の助けをするのが普通でした。藤原道長は源倫子と結婚すると、倫子の実家に通い、その邸宅である土御門つちみかど殿は倫子と道長のものになり、天皇家に入内した彰子ら娘たちの里邸となって、生まれた天皇たちの里内裏ともなります。『紫式部日記』(1010)は、彰子がお産で帰邸していた土御門殿が、秋の気配が深まるにつれ、言いようもなく風情があるというシーンから始まります。

家財産のある娘と結婚すれば、男はそこに住み、使うことができるわけで、逆にいえばそういう資産のない女は惨めなことにもなります。

「土地は? 車は?」財産がなければ美人でも近寄らない

『源氏物語』より少し前に書かれた『うつほ物語』(10世紀後半)には、

「今の世の男は、まず女と結婚しようとする際、とにもかくにも両親は揃っているか、家土地はあるか、洗濯や繕いをしてくれるか、供の者に物をくれ、馬や牛は揃っているかと尋ねる」
(“今の世の男は、まづ人を得むとては、ともかくも、『父母はありや、家所はありや、洗はひ、綻びはしつべしや、供の人にものはくれ、馬、牛は飼ひてむや』と問ひ聞く”)
(「嵯峨の院」巻)

という一節があります。親や家土地や車はあるの? 身の回りの世話はしてくれるの? 俺のお供にチップはくれるの? というわけで、どんなに美人でもそれらがなければ、男は、

“あたりの土をだに踏まず”

という有様だったといいます。

娘は結婚しても基本的には家を離れぬ上に(子どもがあるていど生まれると夫婦は独立することが多い)、娘を入内させ、生まれた皇子を皇位につけてその後見役として一族が繁栄していた当時、大貴族は男子より女子の誕生を望み、同じ『うつほ物語』には女子の誕生を期待して、「女の子のための蔵」(“女の蔵”)(「蔵開下」巻)を用意している親まで登場します。