「豊かな時代は弱い人間を生む。弱い人間は大変な時代をつくる」

そうした時代を経てきた人たちだからこそ、突然自分の国が資本主義社会に変わり、物が手に入り、生活は豊かになったかもしれないが、人の心が貧しくなっていくことをリアルに感じているのだろう。通勤が不便な場所に暮らしていた人が、車を手に入れられるようになった。楽になった、便利になったと最初は満足していたのに、ふと職場の同僚の車を見ると、自分よりもいい車に乗っている。途端にうらやましくなり、まだ乗れる車に不満を持つようになる。すると、もっと働いて、必死にお金を稼いで、いい車を買おうとする。

資本主義社会は人の勤労意欲を高めるかもしれないが、「もっと、もっと」といいものを求め続けるようになる。欲望には際限がない。だからこそ、「ソ連のあのころは」の話で盛り上がるのは、人の心が豊かだったことを象徴しているのかもしれない。政治体制は最悪で、国の在り方として失敗だったが、人々の心は穏やかだったという話を親の世代から聞いて、意外に思った。

ソ連の社会主義は、競争がないと怠けてしまうという人間のさがによって失敗したと言われることもある。その一方で、今の世界のスタンダードである資本主義は、欲望には際限がないという人間のさがに振り回されていると僕は思う。飲み会の席でよく話題にのぼるロシアの言葉が身に染みる。

「大変な時代は強い人間を生む。強い人間は豊かな時代をつくる。豊かな時代は弱い人間を生む。弱い人間は大変な時代をつくる」

結果として、ソ連の社会主義は失敗だったと結論付けられているが、後世の人類から今の世の中がどう評価されるかだってまだわからないのだ。現代の私たちは本当に沈まぬ船に乗っているのだろうか。

チャートの分析をする男性の後ろ姿
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困ったときに頼れるのはロシアか日本か?

僕は6歳から日本で育ち、日本での永住許可を取得しているが、国籍はロシアのままになっている。日本への帰化(ロシア国籍を離脱し日本国籍を取得すること)も、もちろん考えたことはあるが、これまで日本に帰化しなかったのは、ロシアに住む母方の祖父母に定期的に会いに行っていたからだ。コロナ禍前には夏休みのたびにロシアに行っていたし、祖父母や親戚以外に現地に知り合いもいた。

日本で育った僕は、ロシアには“帰る”のではなく、ロシアに“行く”という感覚だったが、ロシア国籍がないと渡航のたびにビザを取得しなくてはならないため、結果的にロシア国籍のままにしていた。数年前までロシアのビザの取得は結構面倒なものだった。日本に永住許可がありロシア国籍を持っていることで自由に行き来できる利便性を重要視していた。

新型コロナウイルスが流行し始めた2020年には、日本在住者に一律10万円が給付された。そこで、在日外国人にも給付するか否かで議論が巻き起こったことは記憶に新しいだろう。結果的に在日外国人にも給付はされたが、僕はこの一件で、「有事の際に頼れるのは、国籍のある国なのだ」ということをまざまざと感じさせられた。別に国が外国人に支給しないことも選択できただろうし、生活できないのであればご自身の国籍の国へお帰りくださいと切り捨てることもできるのだ。