「情報化時代、大切なのは何をどれだけ知っているかではない。どうすればその情報にたどり着けるのか。考え方、調べ方をこそ学生に学ばせなければならない」

高等教育に関するシンポジウムなどで、よくこんな意見に出合う。そのたびに心の中で突っ込んでしまう。「でも、そうおっしゃる先生自身、知識の量が少なからずお仕事のよすがになっていますよね!」。

何もかも覚え込む必要はない。でも、自分にとって本当に重要なことは携帯端末ではなく、頭に叩き込んでおきたい。最近とみに学生の名前を覚えるのに苦労を感じるようになった私は、記憶術の本を手に取った。

本書は、世界記憶力選手権とそこで驚異的な成績を収めた達人たちへの取材をベースに、記憶術の解説、さらには達人たちの脳の仕組みについての実証研究にまで取り組んだ労作である。

世界記憶力選手権というイベントが、マインドマップで有名なトニー・ブザンらによって創設され、すでに20回の世界大会を行っているとは知らなかった。当初はイギリス、ドイツの選手が強く、最近は中国の躍進が著しい。さながら脳力のオリンピックのようだ。

記憶術の柱は「イメージ化」と「関連付け」。これは不変の真理らしい。人間は自分に関係ないと思うものは覚えない。特に意味があるとは思えないことも、想像力をたくましくしてイメージを膨らませ、自分にとって興味深いものに置き換える。そしてそれを思い出すためのわかりやすい、強い手がかりを関連付けて覚える。無論、口で言うほど簡単ではなく、そのために様々な手法が試されてきた。

世界選手権出場者のほぼ全員が採用している「ジャーニー法」は、ほぼこんな手順である。(1)自分の身の回りで、よく知っているルートを選ぶ。(2)ルート上に目印を置く。(3)記憶したいものを、頭の中でその目印上に置いていく。(4)思い出すときは、再び頭の中でそのルートをたどる。

一読して思った。これ、むしろ面倒くさくない?

しかし、我慢して練習問題に取り組んでみると、多少覚えやすい気もする。モチベーションを保ち、継続的にしっかり取り組めば、上達するのかもしれない。達人たちは異口同音に、粘り強いトレーニングと自分なりの工夫が大切と言う。その点もスポーツに近い感覚だ。

ところで本書の著者は脳科学の専門家ではない。実はテレビのディレクターで、本書は番組の書籍化なのだ。それゆえか、視聴者目線、ひいては読者目線が全体に貫かれていて、読みやすさにつながっていると思う。

時間と予算に余裕が感じられる取材や実験、皆様のNHKらしいアクのない文章。記憶術の入門書としてよい本に出合うことができた。本書で興味を持った向きは、さらに技法に特化した本や、脳科学の本に進んでもいいだろう。