仕事で失敗して気分が落ち込んだとき、どうすればいいのか。浄土真宗の僧侶でマンガ家の光澤裕顕さんは「なぜそれを『失敗』と捉えたのかを考えてみるといい。落ち込んでいるときは、まわりが見えなくなるが、そこもまた、光にあふれた仏さまの掌の上にすぎない」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、光澤裕顕『仕事がつらいときに読む仏教の言葉』(星海社新書)の一部を再編集したものです。

お経
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落ち込んだ気持ちとの向き合い方

「人は誰しも失敗して成長する」とは言うものの、やはり失敗すれば落ち込むものです。

かく言う私自身も仕事でたびたび小さなミスをやらかしてしまい、上司から叱咤されることも。だいたいは、確認不足や連絡漏れなど「ほうれんそう」の不徹底やケアレスミスによるものです。実際、悪いのは自分自身だという自覚もあり反省もするのですが、やはり、失敗のことをズルズルと引きずり、落ち込んでしまいます。

このようにたとえ「失敗」が成長の糧になるとしても、落ち込んでいるとき、その心とどう向き合うのかは大きな問題です。

ある人は「失敗」を忘れるために、とにかく欲望を満たし誤魔化そうとするかもしれませんし、なかなか切り替えられず落ち込んだままの人もいるでしょう。「失敗」との向き合い方は人それぞれですが、万人に効果のある対処方法というのは、なかなか見つからないようですね。

また、落ち込んだ人を励まそうとして、一生懸命相談にのったにもかかわらず、相手の痛みの核心に触れられない歯痒さを感じたこともあるでしょう。

人は自分という壁をこえて他者になりきることはできません。それゆえ、完全に他人の痛みを理解することはできないのです。しかし、仏教には困難の中で生きざるを得ない人々に寄り添い、生きることに対して希望を紡いできた歩みがあります。

それは「現代の常識」や「科学のしくみ」と比べるとちょっと不可思議に感じるところもあるかもしれません。しかし、「仏の世界観」を生きると、私たちはつらい失敗の先にある「未来」に目を向けることができるようになるでしょう。

日本で阿弥陀仏が人気の理由

仏教における礼拝の対象は「仏」です。

「仏」とは「目覚めた者」「悟った者」をさす言葉です。もともとはお釈迦さまを指す呼称でしたが、後に広く「悟った者」に対する呼び名になり、阿弥陀仏や薬師如来などさまざまな仏が生まれました。

「如来」は「仏」の異名で、「如」は真実や悟りを意味し、「如来」は総じて「真実から正しい教えを導くために来る尊い人」という意味があります。

実際、みなさまもお寺にお参りされますと、いろいろな仏さまをご覧になるかと思います。それぞれ願いやお役目を持っていらっしゃいますが、その中でもポピュラーな仏さまのお一人が阿弥陀仏です。

たくさんのお寺でご安置されており、昔から人々の信仰を集めていた様子がうかがい知れます。今日でいう「推し」だったのかもしれませんね。マンガのように阿弥陀仏を奉納するのも珍しいことではありませんでした。困ったときにとりあえず「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える人もいるかもしれません。

それでは、この阿弥陀仏がなぜ、人々の信仰を集めているのか、その理由を大乗仏教の重要な経典の一つ『仏説無量寿経』の物語から紐解いてみます。