「自治共和国」を作るソ連と「自治区」にとどまる中国

——「新疆ウイグル自治区」という行政区画名は、中国の民族区域自治という少数民族政策にもとづいています。そもそも中国で民族区域自治が採用された経緯が知りたいところです。建国当時の中国はさまざまな面でソ連の社会制度を参考にしましたが、本家のソ連には「○○族自治区」という行政区画はありません。

【熊倉】ソ連は連邦制国家です。「諸民族の友好」(中国の「民族大団結万歳」に相当するものです)はもちろん提唱していましたが、そもそも前提として、カザフ人はカザフ・ソビエト社会主義共和国、ウクライナ人はウクライナ・ソビエト社会主義共和国を持っている……と、一応は“民族自決”的な形もあった。

実際には完全に独立していたわけではありませんが、各国ごとに憲法もある。そうした国が集まって「同盟」ということになっていました。いっぽう、中国はその点は模倣しなかった。ソビエト連邦ならぬ中華連邦を作って、その内部にウイグル共和国やチベット共和国を包摂する形にはしなかったんです。というか、できなかった。

ウルムチ市内のバザールで売られていた女性向けのスカーフ
写真=安田峰俊
ウルムチ市内のバザールで売られていた女性向けのスカーフ。写真は2014年3月のものであり、宗教的締め付けが強まった現在もこの場所で同じものが売られているかは不明。

少数民族出身の大物幹部からすれば「話が違う」

——中国共産党は、それまで軍閥だらけで分裂していた中国本土をなんとか統一したわけですから、たとえ名目でもソ連のような国家内共和国を作るのは難しかったでしょうね。

【熊倉】そうなんです。遠心力が強くなりすぎてしまう。ソ連もおそらく、第二次大戦を経たこの時期はあえてそのアドバイスはしなかったと思います。

しかし、中国が連邦制をつくらないことにしたら、内モンゴルのウランフ(*1)や新疆のセイフディン(*2)といった、少数民族出身の大物幹部たちは「話が違う」ということになります。彼らは当然、中国は将来的にソ連のような連邦制国家になると想定していて、そういう形なら中国に入っても構わないと思っていたはずですから。

(*1)ウランフ(烏蘭夫)……1906~1988:モンゴル族党員、副総理や国家副主席を歴任。
(*2)セイフディン(賽福鼎)……1915~2003:ウイグル族党員、新疆ウイグル俗自治区初代政府主席・党委書記、全人代副委員長などを歴任。セイプディン、サイフジンなど表記ゆれあり。