生徒の自主性を重視する「放任主義」

初代校長の白井矢太夫は教職員に対し、次のように述べている。

「諸生(学生)の業(学業)を強いて責むる(強制する)はよしなきなり(良くない)。今度、学校(致道館)建てられたれば、才性(個人の才能)によりて教育の道たがはずば、自然(おのずから)俊才の士生ずべし。とにかく学校に有游して、己が業いつしか進めるを覚えざるが如くなるを、教育の道とするなり」

このように勉学の強要に反対し、「個人によって教育の方法は違うのだから、なんとなく藩校にやって来た学生たちが、自分でも気づかないうちに学業が進んでいる、そうした状況をつくるよう教師は心がけよ」と命じたのである。

さらに、「学校は子供たちの遊び場なのだから、子供が無礼を働いたりイタズラしても、たいがいのことは大目に見てやれ。教師は、子供たちがあくびしないで面白がるような授業を心がけよ。子供たちの面白がるような本を見せてやれ」と言っているのである。到底、江戸時代における校長の発言とは思えない。

他の藩校は専任の教師や年長者が下の者を指導するスタイルが一般的だったが、自学自習の時間が多かったことも致道館の特徴だ。

「自分でテキストを選び、自らの力で学習する」

それが致道館の方針だった。いわば放任主義だ。これも徂徠学の影響であった。

校長や教頭に一言いえば酒も煙草もOK

徂徠は著書『太平策』のなかで次のように語っている。

「人ヲ用ル道ハ、其長所ヲ取リテ短所ハカマハヌコトナリ。長所ニ短所ハツキテハナレヌモノ故、長所サヘシレバ、短所ハシルニ及バズ」(人を用いるコツは、その長所だけ取り上げ、短所は気にしないことだ。長所と短所は分離できないのだから、長所さえわかればよいのだ。短所など知る必要はない)

「善ク教ヘル人ハ、一定ノ法ニ拘ラズ其人ノ会得スベキスヂヲ考ヘテ、一所ヲ開ケバアトハ自ラ通ズルモノナリ」(良い先生というのは、臨機応変にその人が獲得できる能力を考えたうえで、一箇所に風穴を開けてやるもの。そうすれば、あとは本人が自分の力で能力を獲得していくだろう)

河合敦『江戸500藩全解剖』(朝日新書)
河合敦『江戸500藩全解剖』(朝日新書)

「彼ヨリ求ムル心ナキニ、此方ヨリ説カントスルハ、説クニハアラデ売ルナリ。売ラントスル一念アリテハ、皆己ガ為ヲ思フニテ、彼ヲ益スルコトハナラヌコトナリ」(生徒が自ら学ぼうという気持ちがないのに、先生が教えようというのは、教育ではなく販売である。そんなことをしても、生徒のためにはならない)

こうした致道館の気風から、学則もかなり自由だった。

館内での碁や将棋、飲酒、喫煙、楽器演奏などは禁じられたが、それはあくまで原則で、「格別の訳これある節は、祭酒、司業沙汰に及ぶべきこと」という但し書きが付けられており、校長や教頭に一言いえば、酒を飲んでも、煙草を吸っても大丈夫だったというのだから、驚くばかりだ。

江戸時代には各藩に教育はゆだねられ、いま紹介したように、ユニークな教育を展開する藩もあったのである。

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