戦国時代の日本では人身売買が横行していた。三重大学教育学部の藤田達生教授は「中世の戦争は人盗り・物盗りが当たり前だった。戦場では、逃げ惑う女性や子供が連れ去られ、ポルトガル商人らを通じて、奴隷として海外に売りさばかれていた」という――。
「旅行の先々で、奴隷の生涯に落ちた日本人を親しく見た」
天正十年(一五八二)二月、
そのヨーロッパ旅行記は、『天正遣欧使節記』
「このたびの旅行の先々で、売られて奴隷の生涯に落ちた日本人を親しく見たときには、道義をいっさい忘れて、血と言語とを同じうする同国人をさながら家畜か駄獣かのように、こんな安い値で手放すわが民族への義憤の激しい怒りに燃え立たざるを得なかった」
「実際わが民族のあれほど多数の男女やら、童男・童女が、世界中の、あれほどさまざまな地域へあんな安い値で攫って行かれて売り捌かれ、みじめな賤役に身を屈しているのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか」
情報通の豊臣秀吉は、このような日本人奴隷の海外への大量流失について問題視していた。最下層からはい上がった秀吉は、大名出身者にはない危機感があったのだろう。