※本稿は、藤田達生『戦国日本の軍事革命』(中公新書)の一部を再編集したものです。
織田信長を勝たせるために兵站を支えた宣教師たち
近年の研究によって、信長がイエズス会を介して硝石や鉛を大量に確保していたことが指摘されている。イエズス会宣教師によって、タイ産鉛と中国産硝石がセットで輸入され、堺商人を経由して信長のもとに届けられたとみるのである。
その根拠は、メダイ(キリスト教聖品アクセサリー)や十字架や指輪といったキリシタン遺物に使われている鉛が、鉛同位体比分析によって、日本で使われた鉄砲玉の原料と同じタイのソントー鉱山産と判明したからだ。イエズス会と信長の親密さの背景には、キリスト教保護の見返りとしての軍事協力があったとわかる。
宣教師たちの鉛と硝石の入手ルートとしては、タイのアユタヤやパタニなどで鉛を積み、中国のマカオなどで硝石を購入、そこから九州そして土佐沖を通る南海路を経て、紀淡海峡を通り抜けて堺に至る航路が想定されている。
信長は、土佐の長宗我部氏とは明智光秀を介して良好な関係を築いていたし、真鍋氏ら和泉水軍も麾下に組織して紀淡海峡の制海権を掌握していた。
宣教師たちは、軍事物資の輸入のほかにも、異教徒を対象とする人身売買や高級品である生糸の輸入にも関与したことがわかっている。布教資金の確保のためにはなんでもした、というのが現実だった。
特に、信長を勝たせるために「死の商人」を演じたのには、理由があった。
日本はポルトガル領となる予定だった
大航海時代のうねりが、ヨーロッパで始まった軍事革命を極東の島国日本にもたらした。
この時代の代表的人物として私たちが思い浮かべるのは、コロンブス、マゼラン、ヴァスコ・ダ・ガマといった航海者、探検家、商人たちだろう。彼らが活躍できたのは、ヨーロッパ諸国において、夜間航行すら可能な羅針盤を用いた航海技術が普及し、さらに向かい風を受けても前進可能な大型帆船・ガレオン船が造船されるようになったからだ。