※本稿は、蔵前勝久『自民党の魔力 権力と執念のキメラ』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
※役職名は当時のものです。
大阪は「維新」「自民」の二大政党制
いつでも政権を担いうる二つの政党、もしくは二つの政党ブロックが存在し、片方の側が政権運営で失敗を重ねれば、次の選挙でもう片方の側が政権につく――小選挙区の前提には、そんな政権交代のサイクルがあるはずだった。そのサイクルが実現すれば、政権にある側には「いつ滑り落ちるか分からない」という緊張感が生まれ、より良い政治が行われるという理屈だったが、全国を見渡せば「自民1強」状態で、理想とした「政権交代可能な二大政党制」とはほど遠い状況である。
しかし、大阪は二大政党が競い合う状況である。大阪限定のこの現象の発端は、大阪府知事だった橋下徹氏が掲げた「都構想」をめぐる大阪自民の分裂だった。
2010年秋、橋下知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」に参加するため、自民党大阪府連所属の府議や大阪市議ら45人が離党。その数は、自民党所属の府議や大阪・堺両市議のおよそ半数を占めた。大阪維新の会の幹事長は、自民を離党した松井一郎府議だった。後の大阪府知事、大阪市長である。維新は11年府議選(定数109)のうち過半数の57議席を獲得し、自民の13人を大きく上回った。大阪市議選(定数86)では維新は33人。過半数には届かなかったが、17人だった自民のほぼ倍の議席を得て「市議会第一党」となった。後に日本維新の会の共同代表を務めることになる馬場伸幸氏は、この時の堺市議選で、自民市議から維新に転じて6選し、市議会議長に就いた。
大阪に維新、自民の二大政党が生じた経緯は、93年の自民分裂の結果、自民党と新進党の二大政党が生まれた状況に似ている。このことを考えれば、やはり自民党分裂でしか、二大政党にはたどり着けないのだろうか、とも思えてしまう。