ロシアのプーチン大統領は「ウクライナ東部のロシア系住民が虐殺されている」と主張し、ウクライナに侵攻した。神戸学院大学の岡部芳彦教授は「私は過去に16回、東部のドネツクを訪ねたが虐殺とは縁遠い長閑な地方都市だった。しかし、ロシアは戦争の下準備として、かなり早い段階からこうした情報工作を行っていた」という――。

※本稿は、岡部芳彦『本当のウクライナ 訪問35回以上、指導者たちと直接会ってわかったこと』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。

ウクライナ国旗と戦火の街を歩く人影
写真=iStock.com/Zeferli
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「私はロシア人だ」と言うウクライナ人に会ったことがない

2013年から14年にかけて、EUとの連合協定締結を拒否したウクライナのヤヌコーヴィチ大統領(当時)に反発する抗議デモが警察・機動隊と衝突した末に、同政権を失脚させたマイダン革命が起こりました。

その隙をついてロシアがクリミアを占領し、東ウクライナでは実はロシア軍が主体である「親露派武装勢力」とウクライナ軍の間で戦闘が起こり、8年にも及ぶ戦争が始まります。2014年8月のイロヴァイシクの戦い、2015年1月から2月にかけてのデバルツェボの戦いを経て、ロシア側に有利な戦況の下でミンスク合意が結ばれたものの散発的な戦闘が止むことはありませんでした。

2009年から2013年の間に、東部のドネツクに計16回訪れましたが、少なくとも僕は、「私はロシア人だ」と自分から言う人に出会ったことはありません。もちろん、「多様な国」ウクライナなので、ロシアを支持する人もいるでしょう。ただ、少なくともウクライナ国籍者で「ウクライナに住むロシア人」だと言う人に会ったことは全くありません。

ロシア人だと教え込まれ、戦場へ向かった子供たち

ドネツクは現在ロシアが主張するジェノサイドとは縁遠い長閑な地方都市に過ぎませんでした。ロシアに後押しされた一部の住民や社会のアウトサイダー、そして旧共産党幹部などが、その出世欲からドネツクとルガンスクに偽の共和国を作り、8年にわたり、この地のウクライナ人を抑圧的に支配してきたのが実態です。

また、2019年6月からは2つの人民共和国地域でロシアの国籍の付与、つまり旅券の「配布」も始まっており、プーチン大統領のいう、「東ウクライナのロシア系住民」は巧妙に作り出されてきたということになります。

また、その地域の子供たちは、急に「人民共和国民」とされて、自分たちはロシア人だという教育を8年間受けています。当時10歳だったとすると今は18歳となり、徴兵されて、マリウポリに送り込まれたりしています。