※本稿は、岡部芳彦『本当のウクライナ 訪問35回以上、指導者たちと直接会ってわかったこと』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。
プーチンが国民の前でバカげた主張をする理由
2022年5月9日に赤の広場で行われた対独戦勝記念日の式典で、プーチン大統領は次のように述べました。
〈「キエフ」は核兵器取得の可能性を表明した。くわえてNATO加盟国は、わが国に隣接する地域の積極的な軍事開発を始めた。このようにして、われわれにとって絶対に受け入れがたい脅威が、計画的に、しかも国境の間近に作り出されたのだ。アメリカとそれを取り巻くネオナチ、バンデーラ主義者との衝突は避けられないと、あらゆることが示唆していたのだ〉
「バンデーラ主義者」が極右政党スヴォボーダ(自由)や、同じくマイダン革命に参加した極右勢力の右派セクターのことを指しているのであれば、ウクライナの中央政界に彼等の影響力は全くありません。
また、仮にその「バンデーラ主義者」よりもウクライナ社会全体が民族主義化したと主張したとしても(僕はそうは思いませんが)、原因はロシアによるクリミア占領、東ウクライナへの軍事介入にあるのは誰にでもわかります。では、なぜプーチン大統領はこのようなバカげた主張をするのでしょうか。僕は「妄想の歴史観」が原因ではないかと考えています。
プーチンにとってウクライナは「国」ですらない
この演説では、ウクライナのことを「キエフ」と言いました。ウクライナの政権を指す場合に使われる言葉ではあるのですが、プーチン大統領にとって、ウクライナは「国」ですらないのかもしれません。
ロシア・東欧研究の第一人者として知られるティモシー・スナイダーは、近年、プーチン大統領が、20世紀前半のイヴァン・イリインなどの「ファシスト思想家」の本を読みふけって、陰謀史観にのめり込んでいると指摘しています。イリインは「ウクライナ人がロシアという有機体の外にある別個の存在であること」を否定しています。この思想の影響が、3カ月あまりのロシアやロシア軍の軍事行動の背景の一つと考えてもいいぐらいではないでしょうか。
真偽はわかりませんが、2008年4月のルーマニアのブカレストで開かれたNATO首脳会談で、プーチンはジョージ・W・ブッシュ米大統領(当時)に「ウクライナは本当の国ではない」と語ったと、ロシア・メディアで報じられたことがあります。その後も似た様な主張を繰り返しており、かなり早い段階から今のウクライナ観につながる考えを持っていたようです。