過度に美化・英雄化されている「大祖国戦争」
一方、今回のロシアの侵略の背景には、近年の過度な「大祖国戦争」の美化・英雄化があるとも感じています。「大祖国戦争」は、ソ連やロシアの独ソ戦の呼称です。
実は、モスクワ大学に留学中の1997年5月9日、赤の広場での対独戦勝記念日のパレードに正式に招待されたことがあります。その前年、ある大阪の専門商社の社長さんが、「ロシア連邦友好勲章」を受章されました。当時、僕は、大学の馬術部の同級生と一緒に、元ニチイ(のちにマイカル)の副社長で当時、ジャパンメンテナンス会長だった福田博之さんの書生紛いのことをしていた関係で、その受章記念パーティに同行しました。
そこで勲章のプレゼンターとしてロシアからヴィクトル・クリコフソ連邦元帥が来ていました。クリコフ元帥は最後のワルシャワ条約機構軍の司令官です。その時に知り合いになっておくと留学中の何かに役立つだろうとご紹介いただき一緒に写真を撮りました。モスクワで元帥のお宅を訪問した際に、その写真を額に入れてプレゼントするとたいそう喜ばれました。
平和を祈るイベントだった対独戦勝記念日
何か礼をしたいというので、最初は、TBSの「報道特集」でタイフーン級の原子力潜水艦を取材している番組を見たことがあったので乗せてほしいとお願いしました。ただ、「それは海軍で、自分は陸軍だからさすがに無理」とのお返事でした。すると元帥のほうから「5月の対独戦勝記念パレードの招待状はどうだ」と言われました。
正式に招待状をいただいたあとは、「あの日本からの留学生はパレードに招待されたらしい」と大学寮の職員さんの間で噂になるほどでした。パレードの前日のことです。高齢の寮母さんがバラを1本持って僕の部屋に来ました。そして「明日、私たちの代わりにこれを無名戦士の墓に供えて」と言いました。
そして、「戦争の話をしてあげよう。戦争が始まってすぐ、私の村にドイツ軍がやってきて……」と涙ながらに弟が殺されたことなどを話しました。この頃の戦勝記念日は今と違って、まだ「大祖国戦争」への従軍経験者も多くが存命で、赤の広場では退役軍人のみのパレードが行われていました。
亡くなった兵士や国民を悼み、二度と同じような戦争が起きてほしくないと平和を祈る意味合いが強かったようにも思います。