択捉島の小学校まで戦争賛美が侵食していた
対独戦勝記念日は、プーチン政権が長期化するのと並行して、愛国心の発揚と軍事力を誇示する場と化していきます。従軍経験者が亡くなり退役軍人の行進も少なくなってきたため、戦没者を悼む純粋な目的で2012年に始まった「不滅の連隊」運動も2015年にはプーチンも参加し、政府の愛国運動に利用されるようになりました。
それに伴ってプーチンやそれを支持する層の間で、「先の大戦でナチスを倒したのはロシア」との誇りとゆがんだ愛国主義だけが強まっていったように思えます。
2016年に北方領土の択捉島で小学校を訪れたときのことです。廊下の壁は、独ソ戦で英雄の称号を受けた都市ごとの勇壮な説明パネルで覆いつくされていました。
しかも、ウクライナのセバストポリとオデーサのパネルには、同国では禁じられたロシアにおける大祖国戦争のシンボルであるオレンジ色と黒色の聖ゲオルギー・リボンが描かれていました。小学校の壁新聞が戦争についてばかりということ自体も、本当は尋常ではないはずです。
しかし、帰ってきて、そのことをあるベテランのロシア研究者の先生に言うと、「戦勝国だから当たり前のことじゃないか」と言われました。戦争賛美が小学校で行われていることのどこが「当たり前」でしょうか。また2014年に占領されロシアに強制編入されたクリミアのセバストポリ、今回の戦争で砲火にさらされたオデーサまでも、ロシアの都市のように扱うことが「当たり前」でしょうか。
プーチンの「裸の王様」ぶりが明らかになった場面
ロシアに傾倒しすぎるあまり、あるいは過度にロシアを尊重しすぎるあまり、異様なまでの愛国教育の高揚とその異常性に気づくことができない、いや、気づいているにもかかわらず何も言えなくなってしまっていたのです。
プーチン政権が過度に強調する「ナチスを倒した」という言葉は、ロシアにおけるパワーワードとなり、それが今回の戦争の「非ナチ化」というスローガンに変わりました。ナチスを倒すためなら何をしてもいいという発想が、ブチャでの虐殺につながったとも言えるでしょう。
コロナ禍で、人と人があまり会えなかったことが原因なのか、別の理由があったかはわかりませんが、プーチンに意見できる人がいないことも、ウクライナ侵略の決定に影響したように思えます。
2つの人民共和国の独立承認の際、交渉での解決を提案したセルゲイ・ナルイシキン対外情報庁長官にプーチンが詰問する場面がありました。その場面は、プーチンが「裸の王様」だということを感じさせました。僕はナルイシキンには何度か会ったことがありますが、彼はロシア歴史協会の会長を務めており、主張に相当な偏りはあるものの、学者肌の印象があります。歴史に詳しい彼が即答できなかったのは、やはり「妄想の歴史観」を押し付けられたからではないでしょうか。