ロシアのプーチン大統領は、なぜウクライナ侵攻を決断したのか。ビジネス・ブレークスルー大学学長の大前研一さんは「ゼレンスキー大統領は、対ロシア外交で致命的なミスを犯した。プーチン氏からすれば、ゼレンスキー氏こそが『紛争の種を蒔いた張本人』という気持ちだろう」という――。

※本稿は、大前研一『大前研一 世界の潮流2022-23スペシャル』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

ウクライナのゼレンスキー大統領(=2022年5月31日、ウクライナ・キーウ)
写真=EPA/時事通信フォト
ウクライナのゼレンスキー大統領(=2022年5月31日、ウクライナ・キーウ)

西側諸国はゼレンスキー大統領を英雄視するが…

ロシアの軍事侵攻が始まって以来、首都キーウ(キエフ)にとどまって、連日悲痛な顔で徹底抗戦の意志を発信し続けるウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領の姿を、西側メディアは英雄であるかのように報じている。また、多くの西側諸国において、ゼレンスキー氏に議会でオンライン演説をさせて、拍手喝采で迎えている。

だが、プーチン大統領になり代わって“ロシア脳”で考えてみると、ゼレンスキー氏は決して英雄ではない。むしろ、彼こそが今回の紛争の種を蒔いた張本人だと言っていい。

実際、彼がウクライナの大統領でなければ、プーチン氏も国境を越えて自国の軍隊を送り込むなどという暴挙に出ることはなかっただろう。

低迷する支持率対策で「NATOとEU入り」を表明

ソ連崩壊により1991年に独立を果たしたウクライナでは、レオニード・クチマ、ヴィクトル・ユシチェンコ、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ、ユーリヤ・ティモシェンコなど、国民のことよりも自身の保身と蓄財に熱心な人間ばかりが大統領や首相に就いてきたという歴史がある。そういう意味ではゼレンスキー氏にかぎらず、ウクライナはもともと政治家に恵まれていない国であると言える。

よく知られているように、ゼレンスキー氏の前職はコメディアンだ。あるとき、彼は『国民の僕』という政治風刺ドラマで、後に大統領になってしまう歴史教師の役を演じた。これが大ヒットすると、勢いでドラマのタイトルと同じ「国民の僕」という政党をつくって党首となり、2019年の大統領選に出馬したところ、70%を超える票を獲得して当選してしまったのである。

ところが、実際に大統領に就任すると、政治家としては素人なので当たり前だが、内政でも外交でも失策が続き、支持率はたちまち20%台にまで急落してしまった。

そこでゼレンスキー氏は起死回生の策として、ウクライナをEU(欧州連合)とNATO(北大西洋条約機構)のメンバーに入れると言い出したのである。

これは効果てきめんだった。なぜなら、NATOはともかく、EU加盟はウクライナ人にとってメリットが大きいからだ。