内戦の引き金になったのも、「言葉」

今回、ロシアがウクライナに侵攻する理由として挙げているのが、ドンバス地方のロシア系住民の保護ですが、その原因となるドンバス地方の内戦の引き金となったのも、「言葉」です。2013年に親ロシアのヤヌコビッチ大統領がロシアからの強い圧力を受けて、EUとの連合協定締結の署名を取りやめたことを発端に、反政府デモが盛んになり、2014年に追放されると(マイダン革命)、反ロ親米政権が発足し、ロシア語を第2公用語として使える現行制度の廃止を決定しました。

衝撃を受けたのは、東部のドンバス地域やクリミア半島に住む人たちです。ウクライナ憲法では公用語はウクライナ語と決まっていますが、2012年に「国家言語政策基本法」が施行されます。日常的にロシア語を使う住民が多く住む地域では、この法律にのっとり、ロシア語を第2公用語として宣言していました。

しかしロシア語が公用語でなくなれば、ウクライナ語で書類を作成できない公務員は失職する恐れが生じます。国営企業の幹部職員であっても、ウクライナ語が堪能でなければ職を追われかねません。

ハリキウ、ルハンスク、ドネツク州の東部3州やクリミアでは、市庁舎を占拠するなどの反乱が起きました。すると政府は、行政機関を占領しているのはテロリストだと言って、なんと空爆してしまったのです。当然、死者も出ました。これで東部地域の住民は、中央の政府が自分たちを同胞とみなしていないと考えるようになりました。

ウクライナ語のみ公用語にするという決定は、すぐに撤回されました。とはいえ東部地域やクリミアの住民の不信感が、それで収まるはずはありません。ロシア系住民が多くを占めるクリミア半島にはロシア軍が介入し、抵抗を受けずに占領します。ルハンスク州とドネツク州では、ロシアの支援を受けた武装勢力が一部地域を実効支配し、共和国と称して独立を宣言するに至りました。

プーチンの「ロシア語を話す人はロシア人」という単純な理解

ウクライナ東部に住む人々は、自らのアイデンティティーがウクライナ人かロシア人か選択することを、初めて迫られました。ロシア人であることを選んだ人々の多くは、親露派武装勢力が実効支配する地域に移動しました。逆に自分がウクライナ人だと考える人々は、この地域から逃げ出していきました。

注意しておかなくてはならないのは、民族意識において言語は重要な位置を占めますが、同じ言語を使うからといって、民族的アイデンティティーが同一とは限らないことです。例えばアイルランド人は日常的に英語を用いていますが、イギリス人ではなくアイルランド人であるという強力なアイデンティティーを持っています。ロシアのプーチン大統領は、ウクライナでロシア語を常用する人を単純にロシア人と考えているようです。しかし、ロシア語を常用し、宗教も正教だが、ウクライナ人という民族意識を強く持っている人々がいます。こういう人々の気持ちをロシア人は理解しにくいのです。

今回の戦争は、このときに端を発しているといえます。民族のナショナリズムを隔てる分断線は、長い時間をかけて培われます。それは、たったひとつの文字や前置詞といった些細な問題でシンボル化され、いったんシンボル化されてしまえば、誰にも止められなくなってしまうのです。

(構成=石井謙一郎)
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