ウクライナ語の使用を認めたが…「あの文字」は使ってはダメ!
戦後のソ連は、多くのウクライナ人が自分たちに銃を向けたのはこれまでのソ連の政策が良くなかったからではないかと反省し、ウクライナ政策を融和します。1954年、フルシチョフ共産党第1書記は、ロシアの国土だったクリミア半島をウクライナに移管しました。
フルシチョフはロシア人ですが、長くウクライナで暮らし、首相も務めた経歴の持ち主です。黒海の保養地として知られるクリミア半島の割譲は、ウクライナへの贈与でした。当時はソ連という国の中における領土の移動にすぎませんから、深刻な事態を招く原因になることなど、フルシチョフは想定していなかったのです。
融和策の一環として、ロシア語しか使えなかったウクライナ東部で、ウクライナ語の使用も認められました。ただし、問題がありました。
ロシア語には英語の「H」に当たる発音がなく、「Г(ゲー)」で表記します。これは英語だと「G」に当たる音ですから、「横浜」をロシア語で読めば「ヨコガマ」です。ウクライナ語には「H」の発音があって「Г(ハー)」と表記し、「G」にあたる音は「Ґ(ゲー)」です。
しかしソ連は「Ґ」という文字の使用を許さず、「Г」に置き換えさせました。それどころか、「Ґ」を使えばソ連に対する反逆と見なし、強制収容所へ7年も送ったのです。これに反革命罪が加わると、刑期は20年に延びます。
冬はマイナス40度になるシベリアの強制収容所での生活は、3年が限度。つまり「Ґ」という文字を使っただけで、死刑宣告と同じ罪を科されたわけです。ナショナリズムにおいて、言語がいかに重要かがわかります。